2005年02月22日

企業変革と経営者の役割

HBR(Harvard Business Review)の2004年12月号に掲載された、IBMのCEO、Sam Palmisano氏のインタビュー記事「Leading Change When Business Is Good」が早くも「DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー」の最新号である2005年3月号に「IBMバリュー:終わりなき変革を求めて」として訳出された。
こうも早いと、英語を読み終わらないうちに日本語になってしまい、なんだかかなりの無駄をしているように思える(実際、日本語の何倍もの時間をかけて同じコンテンツを読んでいるのだから、時間の無駄遣いには違いないのだが)。
それはそうと、この記事を読むと改めて経営トップの役割は組織の方向を定め、行動の基本となる価値観を示し、望ましい風土を醸成することにあるのだと確認できる。

偉大な前任者を引き継いだPalmisano氏にとって、高い業績を稼いでいるときの経営の舵取りはむしろ困難な仕事であるに違いない。
調子の良いときには、問題は見えにくいものである。明らかになった問題があっても、その解決は現状の変化をもたらし、業績に悪影響を与えるかもしれない。業績による評価が明確になるほど、現場としてはたとえ問題があっても変化を求めないのは自然なことだ。
となれば、変化の原動力は経営トップに求めるしかない。
トップでなければ、高い業績を維持しつつ現状を変え、問題を克服せよというメッセージは発信できない。これを本社のスタッフ部門が発信しても、現場に鼻で笑われて終わるだろう。それが細かな制度や戦術ならばともかく、企業を支える価値観に関わるものであればなおさらのことだ。

ほとんどの企業には、その基礎をなす価値基準がある。
しかし、長い年月を経て環境も人の行動も変化し、業績追求の中で当初の価値がないがしろにされることも多い。インタビューの中でも、財務的な成功の裏で「個人の尊重」といったIBM創業以来の価値観が次第にお題目となっていったことが語られている。
環境が激しく変化するならば、企業もまた大きく変化しなければならない。大きな変化を可能にするのは、その企業のもつ容易には変化しない価値観の存在だ。価値に基づく組織としての求心力が維持できなければ、変革の波は組織を容易に分解してしまうだろう。
Palmisano氏が手をつけたのは、まさにこの企業における価値基準を再度明確にし、共有することだった。

インタビューの中で、なんども言及されているのはIBMは一度死にかけた企業であるということ。危機的な状況を乗り切った経験は、二度とそのような状況を招きたくない、という強い意志を組織メンバーにもたらすだろう。
一方で、そのIBMでさえ、高業績が続くと危機感が薄れてしまい、変革の必要性をどう訴えかけるかが大きなテーマであった。

バブル崩壊後の調整期をようやく脱しつつある日本企業にとってはどうだろうか。この10年間の変革が比較的緩やかに行われたこともあって(異論はあろうが)、組織として臨死体験をしたと言い切れる企業は少数ではないだろうか。
若手社員の採用を抑制し、昇格を絞り込んで内部的には雇用と守りきったといって良い(中高年リストラが、少なくとも若年層の雇用消失に比べれば小規模のものであったことは、玄田有史氏の著作に詳しい)多くの企業にとって、危機とは姿勢を低くしてやり過ごせるものであったのではないだろうか。
この10年間で大きな変革を遂げとはいっても、IBMのような莫大な人員削減や事業の組み替え、収益源のシフトを成し遂げた例は極めて少数だろう。実際には、現場レベルでの血のにじむようなコスト削減努力と、デジタル家電やネットワーク関連の新しい需要の出現とが多くの企業を救ったと考えても良いのではないだろうか(もちろん、その課程が決して個々人にとって平坦ではなかったであろうことは、理解しているつもりだ)。

企業をつくりかえるような大きな変革ではなく、漸進的な進化によって環境の変化に対応することが日本企業の強みであることは事実だろう。ここ何年かの超優良企業ソニーの迷走ぶりは、トップ主導による強引な変革がいかに難しいものであるのかを語っているようにも思う。
しかし、変化のスピードが許容範囲を超えて速まったり、大きくなった場合には、好むと好まざるとに関わらず思い切った変革が必要とされる。そのときにこそ、強固な価値観による求心力の有無がその成否の鍵を握ることになる。

Palmisano氏は、直接ネット上で社員とメッセージを交換しながら、IBMにとっての新たな価値基準を作り上げていった。
ここに示されているのは、強引なトップダウンでもなければ、漸進的なボトムアップでもない。ましてや、ミドル・マネジメントによる情報中継機能でもない。新しい形のトップダウン、あるいはコミュニケーションに基盤をおいたトップダウンともいえるものだ。
私は企業トップではないし、トップに近くもない。まあ平凡な中間管理者として仕事をしている。しかし、あるいはだからこそ、トップ自身が語るべき事柄が存在することを強く感じている。経営トップが何を語り、何を語らないかの選択が、企業の活動に大きな影響を与える。
変革の必要性が叫ばれる時期にこそ、経営トップとしてどう行動するか、あるいは、トップに何を期待するか、という原点を見直す必要があるように思う。

Posted by dmate at 2005年02月22日 21:26 | TrackBack
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