講談社現代新書の装幀リニューアルについては以前も酷評したのだが、「講談社BOOK倶楽部」で担当したデザイナーのインタビューを読むことができた。
結論からいえば、”目立てばそれで良い””ホラ、個性的でしょっ”とでも言いたげなデザイナー氏の自意識には暗澹たる気分になってしまう。なんとこのデザイナーは書店に並ぶ新書のタイトルがみんな明朝体だから、わざわざゴシック体を選んだのだそうだ。おまけにこの装幀が10年後20年後に「クラシックに行ける可能性」を持つ、「未来から発想する」デザインなのだそうだ。
いやはや、自意識過剰を通り越して単なる勘違いというしかない。
デザインには好みがある。今回のリニューアルを好意を持って受け入れた読者もきっと多いのだろう。
私にとって今回のデザインは極めて不快なモノであることは前回も書いたとおりで、なにを好きこのんで極彩色に書棚を塗り分けねばならないのかと思う。このデザイナーには書棚の統一感とか各社のデザインがそれぞれの個性を主張しながらも整然と並ぶ美観というものがまったく理解できていないのだろう。
あくまでも個人的な感覚ではあるが、中島英樹というこのデザイナーがどれほど評価されているかに関わらず、私にとっては無神経きわまりない。書籍には今後一切手を触れないでほしいと思うほど。
好きずきの問題にあまり拘泥しても仕方がない。
このインタビューを読んで腹立たしいのは、中島氏が新たな装幀デザインを考えるベースになっているのが「地味であることが正しい」雰囲気が嫌だったこと、そして「現代新書がここにいるよ」とわからせるものにしたいということだ。あれこれと飾り立てているが、要するに”店頭で目立ちたい”というだけの話。
目立てば手に取られる機会が増え、売上が伸びるだろうというあさはかな営業的要望をそのまま受け入れたのか、デザイナーとして本当にそれが美しいと思ったのかは知らないが、どちらにしてもデザインの仕事ではあるまい。
地味な書棚に「ポン、ポンと色が入っていたら」楽しいなどと言うのだが、出版社ごとにまとめておかれることが多い店頭では、「ポン、ポン」どころではなく、あるひとかたまりがどぎつく彩られる結果にしかならない。おそらく中島氏は書店の新書コーナーでゆっくりと時間を過ごしたことなどないだろう。
おまけに「色のストライプで集めたくなるかもしれない」などと放言する。この人物は本を選び、ひとつひとつ読んでいく楽しみというものを理解できないのだろう。
本が売れていないのは事実で、さまざまなプロモーションの手法を試したくなるのは仕方のないところだ。
もしかしたら、本当に現代新書のこの青だけを揃えて...などという購買動機があり得るのかもしれない。ポップで目立って可愛いからと手を伸ばす客もいるのだろう。
しかし、とりあえず店頭で目立たせておけという貧弱な発想に軽薄なデザイナーはおろか、出版社が染まっているならば危機もきわまれりという気がする。あの色彩が、新たな読者層を獲得するとは私には思えないのだ。
中島氏の言うように、新書ではタイトルは重要ではないのであれば、「上司は思いつきでものを言う」や「ケータイを持ったサル」がなぜあれほど売れたのか説明できまい。タイトルは目立たなくて良く、帯が大事だと言いながら、なぜ背表紙タイトルをゴシック体で目立たせねばならぬのか。都合の良い理屈だけをつなぎ合わせて自分の仕事を正当化する姿はまるで二流のサラリーマンである。
あわせて現代新書の出版部長のインタビューを読むと、新書戦争といわれる参入ブームを受けて立った側からの「新しい新書」を作り出す姿勢の表れのひとつであると主張している。
その一方で、悪趣味な色については意味も内容との関連もないと言い、デザイナーの意見であると予防線を張るなど実に歯切れが悪い。
このインタビューの2頁目を見る限り、このかたもかなり本を読み、本が好きな方であるように思える。にもかかわらず表紙や装幀から意味を剥奪しただのタペストリーだのとそれこそ”無意味”な発言に終始している。
おそらく、今回のリニューアルは営業サイドの声と、新書など好きでもなければ読みもしない(でなければ、「知識のアドベンチャー」などという程度の低い「言語化」などできるものではなかろう)デザイナーの思いつきが、本の制作者を押し切った形で決められたものではないかと考える。
この件については書店で棚を見るたびに本当に腹が立つのでまた長々と書いてしまったが、デザイナーのお遊びと自己満足のために、私はこれからしばらくのあいだ、現代新書を買うたびに書棚を汚していくのだ。ああ腹立たしい。
あちこちのリンクをたどっていたら、現代新書がお好きで、あちこちの書店で旧装幀のものを探して購入されている方も。お気持ちはよくわかる、私も一冊一冊の個性が際だっていた現代新書の好きだったのだ。私の関心あるテーマが多かったのも確か。
これからも現代新書の中身が変わらない限り、装幀にかかわらず買い続けるだろうが、少なくとも真っ先に手に取るシリーズでなくなったのは、確かだ。