2005年02月05日

オフィシャルの意味〜「マイルスを聴け!6」

英語の本ばかり読んでいるわけではない。久々に感想を書く日本語の本は、「マイルスを聴け!」である。もっとも読んだのは昨年なのだが。
表題にあるとおり、改訂を重ねて遂に第6版、全作からさらに多くのブートレグ盤を追加収録し、今回もまた最大最高のマイルス・デイヴィスのCDカタログとしての地位は揺るがない。

実をいえば、20代初め頃まではマイルス・デイヴィスはそれほど好きなミュージシャンではなかった。
ひとつには同級生にやたらに蘊蓄をたれるのが好きなのがいて、彼が二言目には「マイルスがさぁ〜」などと始めるのに辟易していたことが原因だ。また、私が意識して聴き始めたのは長期引退からの復帰後のマイルスだったので、モダン・ジャズからの距離感があまりに大きかったことに面食らったのも事実だ。「アガルタ」など、最初に聴いたときには正直なところなんだか訳がわからなかった。

もともと私は主にクラシックを聴いており、ジャズやフュージョンにはあまり親しんでいなかったのだが、浪人中に友人たちに影響され徐々に聴き始めた程度(前述の蘊蓄魔は浪人中につきあっていた仲間のひとりである)。
それでもMJQあたりから入門してモダンジャズを聴き、ウェザーリポートあたりまでたどり着くと「アガルタ」が単に長くてうるさい騒音ではなく(妻は未だにそう思っているようなのだが)、非常にエキサイティングで、同時にシンプルで力強い音楽だと感じられるようになった。一言でいえば、聞いていて心地よさを感じられるようになったのだ。

それからは熱が上がったり冷めたりはあったものの、聴く音楽の大半はジャズ系になって今に至っている。特に1969年以降、長期引退に入る1975年までのマイルスの音楽は、聴くにつれ引き込まれる(もしかしたら、”慣れた”ということなのかもしれない)。
そんな中で不満だったのは、この時期、極めて変化の激しい6年間のまとまったアルバムが少ないということだった。
「イン・ア・サイレント・ウェイ(In a Silent Way)」「ビッチェズ・ブリュー(Biches Brew)」から始まり「アガルタ(Agharta)」「パンゲア(Pangea)」に至る時期で、オフィシャルに発売されているレコードは、未発表演奏のオムニバスを含めても20組にも満たない。特に1973年のものは皆無であり、「オン・ザ・コーナー(On the Corner)」から「ダーク・メイガス(Dark Magus)」へと連なる時期の音楽は想像するしかなかった。

1973年の東京でのコンサートを収録したブートレグ盤の存在を知ったのは、「聴け!」の初版の頃だった。実際には、同じ中山氏による「ビッチェズ・ブリュー」という70年代マイルスのオフィシャル盤を解説した書籍の記述によるもの。
この「ブラック・サテン(Black Satin)」なるCD、どこで入手できるのか皆目わからず弱り切っていたのだが、とあるきっかけで購入した人から店を教えてもらった。2枚組で8,500円という値段には腹が立ったがやむを得まい。何度も何度も繰り返し聴いた(その後、このコンサートの様子は音質が向上したCD「アンリーチャブル・ステーション(Unreachable Station)」として再発された。まったくもう)。
以来、この「聴け!」をガイドブックとしながらいくつかのブートレグ盤を購入し、通勤の友としている次第(本来ならもっとじっくりと聴きたいところなのだが)。1971年から75年にかけての多くのライブ演奏が世に出たおかげで、この時期に変わったもの、変わらなかったものがかなり鮮明に見えてきたように思う。

さて、本書で何度も指摘されているとおり、私自身にとっても大きな驚きだったのはコロンビアが発売したオフィシャルアルバムに収録されたライブは、決してその時期の最高の演奏ではなかったことだ。1970年の演奏を収録した「ブラック・ビューティ(Black Beauty)」や翌年の「イン・コンサート(Miles Davis in Concert)」がその典型だが、さらに興味深いのは音質の面でもオフィシャル盤が優れているわけではないということ。
もちろん、当時の録音機材は現在とは比べるべくもないし、CD化にあたっての加工技術も進歩したのだろう。しかし、ブートレグ盤にこうもあっさりと追い越されてしまうオフィシャルの価値についての疑問は大きくならざるを得ない。
もちろん、オフィシャル盤であれば私が支払ったお金のいくばくかはミュージシャンの収入となり、ブートレグ盤にはその保証はない(おそらく、まったく支払われないのだろう)。しかしそれ以上に契約に基づいてミュージシャンの音源を押さえ、世に送り出す権限を持つのならば、最善の音源を最善の状態で出す努力を怠るべきではないと思う。にもかかわらず、ソニーが今やっていることはスタジオでの録音を時代ごとにまとめ、ボックスセットで売り出すことだけだ。私自身もボックスセットはいくつか持っているが、たとえば「コンプリート」と銘打った割にはまるまる1枚分の音源が抜け落ちていた「ライブ・アット・プラグド・ニッケル(Complete Live at Plugged Nickel)」など、仕事の雑さが目立つ。

レコード会社については、時代に適合しなくなりつつある流通形態や利益の独占を狙うあまりに、クリエイターと顧客の両者をないがしろにするかのような行動ばかりが目につく。
CDという器での販売が不要になるネットでのダウンロード販売であれば、極めて低コストで眠っている音源をファンに届けることができるはず。今売れているCDの販売に関わる利益が気になるのなら、まずは世に出ていないもの、あるいはブートレグとして流通してしまっている音源を、ネットに乗せてはどうか。顧客やミュージシャンと対立しない方法は、いくらでも考えられると思うのだが。

Posted by dmate at 2005年02月05日 21:39 | TrackBack
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