文庫本6冊分(「ルビコン以前 上中下」「ルビコン以後 上中下」)という分量ではあるが、もちろんそれほどの時間はかからない。もともと11時間にもなる飛行機での移動用に買ったものだが、往復とも席に恵まれず、ほとんど読めずに戻ってから通勤電車と新幹線で読了。
カエサルという人物について、今さら私が何か新しいことを指摘できるわけもないが、強く印象に残ったのは、ローマという国家がその体制を造りかえる人材の芽を摘まずに、保全する知恵を持っていたということだ。
カエサルの少年時代、独裁官となったスッラは民衆派に属する多くの政敵を、有無を言わさずに殺した。ローマがカルタゴとの戦争に勝利し、地中海世界で最強の存在になったと同時に始まった政治の混迷の中で、元老院による寡頭制の統治形態が揺らぎはじめた中での悲劇だった。
旧来からの政治体制が有効性を失いつつあるとき、グラックス兄弟やマリウスのように体制に不満を持つ階層の支持をバックに改革を目指すものもあれば、スッラのように現体制の強化を推し進める方法もあるだろう。いずれにせよ、改革は敵と味方を明確にすればするほど抵抗も強まり、推進は難事業となる。
いま日本では内閣が”抵抗勢力”と戦いつつ困難な改革を推し進めていることになっている。
あえて敵を作ることが改革を進める上での障害になることを、一国の首相となる人物が理解していないとは思えない。おそらく彼は改革後の社会ビジョンを描く能力や、その実現力のなさを自覚しているがゆえに、敵を作り改革の困難さを過剰に演出してみせることでしか、自己の力を保持できないと判断したのではないだろうか。
彼が権力を保持する狙いは、日本社会を改革して新たな成長力を蓄えることにはなく、彼の支持母体が望む国家主義的な主張の実現や自衛隊を軍隊へと名実ともに作り替えることにあるとさえ思える。
おそらく、カエサルが日本の首相であれば、わざわざ身内に”抵抗勢力”を作り出して国民の支持を繋ぎ止めようなどという浅ましい真似はしないだろう。国民を熱狂させる成果をみせつつ、そして巧みに反対者の動きを封じつつ、全体を自らが描いた方向へと動かしていくことだろうと思わされる。それほど、本書でのカエサルはとてつもないスケールの、超人的な改革者として描かれている。
著者はおそらくカエサルを愛するがゆえに、本書にはカエサルの美点ばかりが示されているようでもある。欠点のない人などいないはずで、カエサルといえど完璧ではなかったはずなのだが。
一方で、小カトーやクレオパトラなど、カエサルの狙いや思いを理解できずに行動した人物には、いささか厳しい描写が続く。キケロにはいくらかの救いもあるが、小カトーともなると本書のおかげで相当評判を落としてしまったのではなかろうか。
冒頭に書いたとおり、カエサルの少年時代はスッラによる政敵の粛正が行われていた時期と重なり、カエサル自身もその対象となっていた。
しかし、政敵の粛正はいま生きている反対者を一掃することはできても、将来生まれてくる反対者を消すことはできない。その意味で、スッラが行ったことはカエサルに舞台を提供することで、共和制ローマという政治体制の終焉に手を貸しただけとも解釈できるのは皮肉だ。
ローマの優れた点は、こうした指導者を全て殺してしまうのではなく、国外留学といった方法で”ほとぼりを冷ます”道を残してあったことにある。スッラが明確に意識してカエサルを見逃したかどうかは疑問だが、改革の芽を完全につみ取るのではなく、残しておけることもまた、社会の健全さの表れでもあるだろう。
また、元老院という指導層を明確にし、その子弟には一流の教育を施し、軍隊の指導経験も積ませた上で国家の指導層に加えるという仕組みは、必ずしもマイナス面ばかりではないことを私たちに教えてくれる。
父と子であっても、社会の認識や改革への意識は同じとはならない。むしろ、世代が変われば意見の食い違いも大きくなるのが自然だ。国家の指導層となるべきことを若い頃から意識し、そのために必要な知識や経験を積ませる貴族制は、体制の中で小さな改革や変革を日常化するための巧妙な仕組みともいえる(もっとも、帝政への変革の結果としてこの仕組みがどう維持され、変質していったかはこれからのお楽しみとなるのだが)。
国家に限らず、組織は常に小さな変革を続けない限りはいつか機能不全に陥る。体制内に体制の破壊者を維持することが、組織の成長と強化には効果的なのだ。一枚岩の組織のほうが、はるかに変化にはもろいことを、私たちの多くが実感していると思う。
ローマには体制内に変革者を置くゆとりがあり、ゆとりが産み出したのがカエサルという人物だ。幸いなことに、多くの組織はカエサルほどの人材を必要をしていない。
ビジネスパースンの多くが歴史上の英傑からリーダーシップやコーチングの技術を学ぶことに熱心だが、それ以上に、ローマという国家があれほどの反映を続けた本質に目を向けることもまた、有効ではないかと思う。
ローマ人の物語<8〜13> ユリウス・カエサル−ルビコン以前(上中下)、ルビコン以後(上中下)
塩野七生 著
新潮文庫