2004年11月05日

本への渇望

たった2週間のアメリカ滞在中に我ながらあきれたのは、書店を見かけるとついつい入りたくなってしまったことだ。
私はこれまでに英語の本を読了したことは2度しかない。半分まで読み終えたのも含めてやっと4〜5冊といったところ。今回も「Harvard Business Review」の記事をいくつか読んだが、だいたい1ページあたり10分を要するので、ひとまとまりの記事(まあ、10〜15ページくらい)に2時間近くは要する。
そんなわけで、私が英語圏の書店に行ったからといって、そこら中の本が読めるわけではない。にもかかわらず、書店を見るとついフラフラと入り込み、結構な時間を過ごしてしまう。

たぶん、私は書店という場所が好きなのだ。あるいは、本という物体に強い愛着を持っているのだと思う。
そもそも、私は部屋に閉じこもって本ばかり読んでいる子供だった。記憶にはないのだが、与えられた絵本を何度も読んで暗唱してしまい、しまいには後ろから逆向きに朗読しはじめるほどだったらしい。母親はさすがに危機感を抱いたのか、何度か家から追い出されて数時間外で遊ばなければ入れてもらえなかった記憶がある。
今でも、どちらかといえば外出よりも本を読んでいる方が好きだし、ちょっとした空き時間に読める本がないという状況は想像もつかない。

本とは基本的にはある物語なり論文なりを著者から読者に伝えるための器だ。本を買うという行為は、その物語を買うことに他ならない。
近頃ではオンライン書店が便利だし、近所のコンビニエンスストアで受け取れるサービスもある。特定の本を購入するなら、わざわざ都心の大型書店にでかけるよりもずっと便利で楽な方法がある。
私が中学高校と過ごした街は、近所には大きな書店はなく、徒歩40分程度の繁華街に行ってようやく”本が選べる”程度の場所だった。本を選んで買うというのは、私にとっては大事業だったのだ。
大学に進んでからも、大学生協だけでは品揃えが不足するので、やはり徒歩で30〜40分の繁華街へでかけ、書店巡りをするのが私の日常だった。
ではその頃にオンライン書店があったら私は使っただろうか? 何度かは使ったかもしれない。地方の書店では決して在庫されないような本ならば迷わず利用しただろう。
けれど、やはり私は書店巡りをやめなかっただろうと思う。

だいぶ以前のエントリで以下のように書いた。

書店へでかけるのは、物語との出会いを求める冒険だ。このときめきはまだオンライン書店で得ることはできない。

もちろん、これも書店の楽しみのひとつだが、それ以上に本というモノが大量に陳列されている空間が、おそらく私を魅了しているのだと思う。場合によっては本を探すのでさえなく、単にフラフラと書棚の間を歩いていることさえある。
おそらく、アメリカで読めもしない本の中を歩き回りたいと私が熱望したのは、本の内容ではなく大量の本そのものに呼ばれたのだろうと思う。この感覚、本好きの方にはわかっていただけるのではないかと思うが。

Posted by dmate at 2004年11月05日 21:09 | TrackBack
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