2004年10月01日

多様性を活かす組織〜「男女協働の職場づくり」「企業を変える女性のキャリア・マネジーメント」

業務上の必要があって手に取った2冊、結論からいえば、前者は男女雇用機会均等法以降の日本の職場における女性の置かれた状況を概観するのに適しており得るところも多いが、後者については対象が不明確でかなり散漫な印象を受けた。

私は男女雇用機会均等法が施行されたちょうどその頃に就職活動をしていた。もちろん当時は”就活”などという略語はなかったし、大学4年の初夏になってようやく動き始めるという、今から考えればのんきな活動だったと思う。
山ほど送られてくる”会社研究”から良さそうな会社を選んでハガキを送り、あとはOBからの接触を待つというのが一般的で、二度ほどの面接を経て内定という流れだった。
当時も同級生の女性たちはあからさまな差別を受けていた。そもそもリクルートなどから男子学生にはどんどんと送りつけられる情報誌や冊子がまったく届かないことから始まり、ハガキを出してもOBからの連絡がない、資料が届かないといったことは当たり前。ゼミの指導教官も女子学生が就職に苦労するのをかなり心配しながら見ていた。

仕事を得てからも、私には周囲の先輩社員たちが”女性総合職”をどう扱えば良いのか困り果てているのが強く感じられた。客先でも女性の営業はかなり珍しがられはしたものの、古い体質を引きずる業界では決して暖かく迎え入れられたとはいえない。
同期入社した女性たちが入社時の勢いをどんどんと失い、職場を去っていくのを、私は無理もないことと見ているしかなかった。頑張れというほど近しい存在ではなかったし、一方で会社の風土や制度は新入社員に手の出せるものではない。
均等法から20年弱の時間は、企業における女性の進出を確かに促進してきたし、育児休業や介護休暇などの制度も間違いなく前進してきた。それでも、日本企業における女性管理職は10%を下回る水準でしかなく、私の周囲を見ても、状況は必ずしも楽観的ではない。

私は非喫煙者で、たばこの煙が流れてくるだけでもたちどころに不快になる。いつの日か衝動的に路上での喫煙者を車道に突き飛ばしてしまうのではないかと思うほどだ。
この私でも、事務所内にある喫煙室には良く出入りしている。それは、喫煙室内でのインフォーマルなコミュニケーションで得られる情報や、そこでのさまざまな会話が仕事を進める上で貴重なものだからだ。帰宅後にスーツにはファブリーズなど脱臭剤を振りかけ、シャワーを浴びてようやく自分を取戻した気になるほど苦痛なのだが、やむを得ないことだと感じている。
喫煙室であれば、我慢をして入り込めばそれで良い。私自身はインフォーマルなコミュニティから排除されているわけではないので、行きさえすれば会話に参加することができる。
しかし、そもそもこうしたコミュニケーションから阻害されているとしたら、あるいはなんのきっかけもなく参加できずにいるとしたら、私はもう少し低い成果しか出せないでいたかもしれない。

「企業の変える女性の〜」に紹介されている、アメリカでのアンケート調査の結果によれば、女性の多くが”社内でのインフォーマルな関係から排除されていること”を女性管理職が少ない理由のひとつとして挙げている。
もともと職場において少数派である(比較的歴史の古い企業では、各職場に女性総合職は一人か二人、という例は少なくないだろう)女性にとって、たとえひとつひとつは小さなものであってもハンディが積み重なることが、成長し貢献を示す上での大きな重しとなることは想像に難くない。
また、そもそも人の能力や仕事へのコミット度合いはばらついて当然のものだが、人数が少ないことがマイナス方向の事例の印象を強めて”女性は仕事への熱意において男性より劣る”といった思い込み(もしくは願望なのかもしれない)を強化する。少数派であることは、コミュニティにおいては極めて大きなハンディキャップであることを、私たちは再認識すべきだ。

また、本書だけでなくあちこちで指摘を受けているとおり、均等法と前後して登場し定着してきた”コース別人事制度”は、形を変えての女性差別の温存であることは事実だ。
「男女協働の〜」で指摘されているとおり、一般職から総合職への転換には非常に高いハードルが課されており、事実上、差別を固定すると同時に、やる気と能力のある女性社員を低賃金で便利に使うための仕組みとして機能してしまっている。
育児休業などの制度面が整備されても、そこで働く人々の意識が変わるわけではない。

職場における多様性は、男女の差に限らない。
仕事をどう捉えるのか、という個人の意識もまた、非常に大きな多様性を持ち始めていることはほとんどに人が実感できるだろう。
戦後日本サラリーマンの典型ともいえる仕事観を持つ者も多い一方で、キャリアアップのひとつのステップとして捉えていない者、単なる小遣い稼ぎのつもりでいる者、世間体や生活のためにやむを得ず働く者、職場にはさまざまな人々がいる。私たちはこれらの中から正しい考えと正しくない考えを決めたり、自己の価値観と違った者を排除することなどできないことを自覚しなくてはならない。
あらゆるコミュニティの構成員の多様性は拡大している。違っていることを前提に、全体として成果を高めていくために何ができるかを考えるしかないのだ。

こうして考えると、男女の差などはそれほど大きな差ではないとさえいえる。価値観の違いのほうが、はるかにマネジメントしにくいだろう。
職場での男女差別を乗り越える動きとしての”ポジティブ・アクション”は、これまでなんのハンディもなく会社組織への適合を果たしてきた男性からは”逆差別”と見えるかもしれない。事実、先日見た報道番組の中では、女性管理職登用の目標設定をした人事部門に向かって”制度は公平なのだから、何もしなくたって優秀な女性は管理職になる”とくってかかる管理者の姿が見られた。
一見正しいように見える理屈ではあるが、それはスタートラインが同じであってこその議論だということを見失ってはならない。そもそも有利な条件にいる者が、その優位性を失うまいと改革に抵抗するならば、彼らは遅々として進まない経済構造改革に非を鳴らすことなどできないだろう。

多様性を受け入れつつ、その上で高い成果を出し続ける組織運営のノウハウを、私たちはまだ確立できていない。
経営管理手法の多くと同じく、アメリカの手法を直輸入してもうまくはいかないだろう。輸入した手法を消化し、体得してようやく成果につながるものだし、それには一定の時間を要する。
多様性の増大が避けられないのだから、私たちは今すぐにでもその変化への対応の準備を始めねばならない。男女共同参画社会は、国の制度によって簡単に作れるものではなく、個々人の実践の中から形成されるものだ(それゆえに、実態の定かでない”伝統”やら”家族”やらの観念によって規定されるべきものでもない。順序がまるで逆なのだ)。

さて、冒頭にも書いたとおり、後者(「企業を変える女性の〜」)は、文章が細切れの上に、働く女性に語りかけたかと思えば企業経営者に提言をしているなどパラグラフごとに内容が変わり一貫性がない。おそらく著者が書きためた文章を編集する際の手抜きだろうと思われる。また不要な句読点が多くして文章にリズムがなく、薄い割にはなかなか読み進められなかった。
著者は女性と仕事に関するNPOの代表者でもあるようだが、こうした著作を出す上では読者をきちんと想定して内容の整理を進めるなど、活動自体のマーケティングをしっかりとおやりになるべき。少なくとも、本書を単独の著作として評価すれば、散漫だし時間の無駄ということにならざるをえない。

一方、もう一冊の「男女協働の〜」についても、学者の論文を少し読みやすくアレンジしたものといえる。まったく同じ表現が繰り返し繰り返し使われ、箇所によってはまったく同じ文章の主語を変えただけという安易な作りも見受けられ、読者としての評価は低くなる。内容はしっかりしているが、ぼそぼそと資料を読み上げる貧弱なプレゼンテーションといったところか。

働く女性の置かれた状況を”恨み節”ではなく事実としてきちんとまとめ、同時に政策面や企業の対応を一覧できるようにする。あるいは働く女性と活かす企業のもつ課題と進むべき方向を、アンケートや先進事例からわかりやすくまとめる。
これらのことは今まさに多くの人々に必要とされていることであり、著作としての完成度の低さが、内容そのものへの印象を貶めないよう、研究者や著作者には一層の努力をお願いしたい。

 男女協働の職場づくり〜新しい人材マネジメント
 渡辺峻・中村艶子著
 ミネルヴァ書房

 企業を変える女性のキャリア・マネージメント
 金谷千慧子著
 中央大学出版部

Posted by dmate at 2004年10月01日 23:38 | TrackBack
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