2004年09月08日

決して理論の否定ではない〜「マーケティングに何ができるかとことん語ろう!

私は、本に巻かれている帯というのがどうも気にくわない。
もちろん、帯に書かれたうまいキャッチフレーズで思わず手に取ってしまうこともあるのだが、むしろ思わせぶりな、あるいは売らんかなの姿勢にあふれた宣伝文句に辟易とすることのほうが多いのだ。
この一冊もそのひとつ。なんと「机上の理論をぶっ壊す!」と勇ましい言葉が踊っている。
ここに書かれる文句は、ほとんどの場合著者のあずかり知らぬところで出版社サイドが勝手に決めるものと聞く。できが良ければいいのだが、例えば本書の場合、せっかくの内容を誤解させるもののように思われる。

本書をちゃんと読めばわかるはずだが、著者は決してマーケティングの理論を頭ごなしに否定も、軽視もしていない。権威あるものや評価が確立したものにとにかくかみつき、否定することで自分の新しさを強調しようとする本をよく見かけるが、本書はそうしたものではないのだ。
極めてオーソドックスに、顧客との関わりを見つめて必要なことを実践する、マーケティングとは、もともとそのようなものだ。実践する上で考え方をまとめるのに便利なフレームワークなり、理論がだんだんと形作られてきたのであって、逆ではない。
マーケティングにおいて、”机上の理論なんて”と既存の理論や手法を否定してみせるのは、もともと手法にすぎないものをあがめる思考が裏返しになっただけ。そんなコンプレックスを感じる必要などないのだ。

著者はそんなことはもちろん先刻ご承知のはず。本書があえて著者の生い立ちや会社員としての経験から書き起こされているのは、理論や手法からのマーケティングではなく、顧客との関わりから肌で感じ、体得してきた商売の基礎こそがマーケティングである、ということこそが、著者の主張だからなのだ。
このところ私は、このweblogの記事を書く際に、amazonなどに掲載された読者レビューをいくつか拾い読みでいている。本書に関していえば、刺激的な帯の文言につられて著者への対抗心をむき出しにしたり、過剰な期待を抱いて内容が薄いと酷評するものがいくつか見られたが、少々ナイーブに過ぎるのではないかと思わざるを得ない。。

本書に書いてあるのは、決して奇をてらったことではなく、極めて正攻法なマーケティングの入口だ。
マーケティングというと確立された理論体系のように感じてしまい、必ずコトラーを読み込むことからはじめねばならないと思っているなら、それはとても不幸なことだ。本書のように、ちゃんとわかっている著者による入門書をひもとくのは、絶好の入口ではないかと思う。
結果として食い足りなさが残るのはごく自然なこと。表題に反して、著者は決して本書だけでマーケティングについて語り尽くしているわけではない。むしろ、非常に多くの事柄を語り残したまま、本書は終わっている(その意味で、本の表題と内容にギャップを感じた、という読者レビューが目立つのは、致し方ないところ。表題は著者がつけたのだろうか)。
マーケティングに関する本は極めて多い。マーケティング自体が、企業や組織の活動全体を包含しうる広大な概念なのだから、当然といえば当然だ。一冊二冊の本を読んだからといって、マーケティングを」”とことん語る”ことは無理だ。

本書が貴重なのは、マーケティングが決して机上で産み出された学問ではなく、顧客と対峙する人々の思考や行動の結晶であることを著者自身の体験と重ね合わせて教えてくれることだ。
扇情的な宣伝文句に惑わされることはない。マーケティングに何ができるのか、じっくりと膝を交えて著者と語りはじめるには、絶好の一冊だ。いわば、本書の表題はこの一冊で”とことん語り終える”と主張しているわけではなく、”さあ、これからとことん語ろう”と読者を誘い込んでいるのだから。

 マーケティングに何ができるかとことん語ろう!
 阪本啓一著
 日本実業出版社

Posted by dmate at 2004年09月08日 22:02 | TrackBack
Comments
Post a comment









Remember personal info?