2004年08月30日

自サイトで書く

「技術系サラリーマンの交差点」でのエントリ「自分の足跡を管理する」を読み、私自身が掲示板や他のweblogにコメントを残すことに抵抗を感じている理由を解き明かしてもらったように感じた。

当該エントリには以下のように書かれている。

いったん書き込んだら何か反応があるかも知れず、その後しばらく訪問する必要がある。また、書き込みを削除・訂正したいと考えても自分ではできない掲示板が多い。自分の管理できない場に書くという行為は、かなりストレスの伴うものだと思う。
何より、広いウェブの世界で自分の足跡があちらこちらに散在していて、どこで何を書いたか自分でも思い出せなくなる・・・という状態が私は怖い。そんなことはちっとも怖くない人もいるかもしれないけれど、とにかく私は落ち着かない。

私がオンラインで文章を残しはじめたのは、パソコン通信の「Nifty-Serve」からで、ここでもアップロードした文章の訂正や削除は簡単ではなかった(当該フォーラムの管理者への依頼が必要)が、少なくとも自分の文章は特定のフォーラムの特定会議室にしか存在しないことが保証されていた。その文章はそのフォーラムの会員以外は目にしないことが前提だった。
今から思えば狭い村で話し合いをしていたようなもので、個人情報についてもあまり細かく管理しようという気にはなれなかった。プロフィールには勤務先や部署なども明記し、出身地や現住所なども市町村くらいまでは公開していた。その程度は珍しくはなかったのだ。
けれど、今同じことをインターネットでやろうとは思わない。
このweblogには私自身のプロフィールを掲載していないが、それは”いったいどこまで書くのか”の判断がつきかねていることの表れだ(プロフィール情報が不要だと判断したわけでもない)。

インターネット上の掲示板は、ほとんどの場合アクセス権限は設定されておらず、その気になれば誰もが私の文章を見る可能性がある。
Googleなどの検索サイトのおかげで、古い情報でも埋もれることなく閲覧され続けるし、元データが消えたあともしばらくはキャッシュで内容を読むこともできる。文章そのものがコピーされて流通されるのを止めることも簡単ではない(パソコン通信であれば、その気になれば事業者であるNiftyを動かして追跡することは可能だったろう)。
自分が書いた文章には、たとえ注意していても私自身の生活する環境や関係が投影されている。日記でプライバシーを公開しているわけではないが、それを自分の管理できない場に放り出すというのは非常に気持ちの悪いことだ。しかもその文章は、検索エンジンによってアーカイブされ、私の思いもよらぬところで発見される可能性を持っているのだ。
検索エンジンは便利な一方でお節介なもので、今でも特定の言葉で検索をかけると何年も前に投稿したメーリングリストのログが表示され、私の氏名や勤務先をたどることができる。当時はこれほど高性能の検索サービスはなかったし、また公開されたログが何年にもわたってアーカイブされ続けるという実感もなかった。わかっていれば、メールフッタにもう少し気を配っていただろうが、後の祭りだ。
アーカイブと検索エンジンは、書いた文章を世に公開するという行為のもつ重みを一気に広げた(あるいは、実感を持って書き手に意識させた)のではないかと思う。

自分の文章を管理したければ、それらは自分のサイトにだけおくしかない。そうすれば訂正や追記も簡単だし、いざとなれば削除もできる。
しかし、それでは単なる放送局と同じで、なんのコミュニケーションも生まれない。一方で、ゲストとしては自分自身が書くのをためらう掲示板を自サイトに設置するのは、自己矛盾も甚だしい。不特定に公開された掲示板は存在自体がコストになってサイト維持の重荷にもなる(なにも”荒らし”の存在だけではない。来客にきちんと対応できないこと自体が、サイト運営者の重荷になっているケースを何度も見ている)。

「技術系サラリーマンの交差点」でも触れられているように、weblogにおけるトラックバックという機能は、”文章を自分の管理下におくこと(コンテンツの保持)”と”他のサイトとのコミュニケーション/関連づけを行えること(リンクの設置)”が両立できる、画期的なものだ。
もちろん、管理下にあるからといって、むやみに過去に公開したコンテンツを書き換えたり削除したりするのは好ましくないだろう。逆の立場に立ち、自分が言及したコンテンツが突然正反対の意味に書き換えられたりしたら、不快どころではない。
むしろ、自身が書き残した文章をきちんと把握し、あまりいい加減なことを書かないために、文章を自己の管理下におくことは、責任を明確にすることでもある。
その場その場の思いつきだけでweblogを書き続けるのは、少なくとも私には楽しいことではないし、平然と矛盾した内容を書き連ねる姿勢、すなわち、自己の発言に責任を負うことを拒否する姿勢には共感も同情もできない。
こうした主張をきちんと一貫させるためにも、やはりコンテンツを自サイトに置くという姿勢には大いに共感だ。

Posted by dmate at 2004年08月30日 21:01 | TrackBack
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