2004年08月23日

電車内読書には難あり〜「トンデモ本 女の世界」と「愛のトンデモ本」

単行本が出た時に迷ったが買わなかった2冊、文庫化されてそれぞれが上下巻の大部となった。夏休みのお楽しみとして買い、結局これらのために夏の課題にしていたコトラーの「A Framework for Marketing Management」が全くはかどっていない(というのも、言い訳なのだが)。
と学会が取り上げるトンデモ本といえば、いつもならUFOやら異次元からの存在やらが登場して地球を滅亡させたりするものがほとんどで、著者も怪しげな研究者や自称ジャーナリスト、あるいは教祖様やその側即といったところだ。しかし、本書が題材とするのはタレント本やダイエット本の類い、そして恋愛に関するおびただしい数のトンデモ本たちだ。もっとも、題材のほとんどを私は読んでおらず、またあまり関心もない。トンデモの”女の世界”や”愛の世界”について語れることは少ない。毎度のことながら感想としては大きく脱線するがご容赦を。

「女性の生き方」と文字にするだけで、なんともいえないうさん臭さをただよわせるが、確かにこの手の本は多い。対象は女性だけでなく、老若男女を問わずさまざまな「生き方指南書」が書店にあふれている。自己啓発やマネジメントのコーナーも含めて、幸福になるためのありとあらゆる信条や生活態度について私達に教えを垂れている、まるで幸福を押し売りされているような圧迫感を感じるには私だけではないだろう。
「トンデモ本 女の世界」が冒頭におく三浦朱門の『女が「いい女」であるために』は、そんな「生き方指南書」の一つの典型といえるだろう。三浦による「いい女」とは「都合のいい女」であるという指摘の通り、ここで推奨されるのは明治から太平洋戦争にかけての男女の関係や家族の姿を是とする人々にとって都合の良い人間像。書いている方は大まじめに世の中をより良くしたい、より多くの人に幸福になってもらいたいと思っているのだろうが、旧弊な価値感を振り回す迷惑な老人でしかない。しかも本人は”俺が世の中を良くするのだ、正すのだ”と大まじめなのだろう、まさに「トンデモ」の王道といって良い。

世界の破滅や救済をテーマにしたトンデモ本の多くに共通の傾向として、強烈な選民思想があることは本書でも指摘されているとおりだ(この手の本もいくつか題材となっている)。三浦朱門もまた、極めて薄弱な根拠で自身の偏見でしかないものを心理と見誤っている。
選民思想は決して孤立した宗教団体やちょっといかれた人物だけのものではない。むしろ、ほとんどすべての人に備わっているものだろう。それは必ずしもネガティブなものではなく、”世間はどうあれ、私は交通ルールを遵守しよう””友達はみんな馬鹿らしいといっているけど、私は投票に行こう””上司や同僚はああ言っているが、やはり私には不正はできない”といった言動の裏には、自分が正しくありたい、優れた者でありたいという感情がある。選民思想といって悪ければ、良心や自尊心と言い換えても良い。
他者として世の中を見れば、だれでも気に入らないことや間違っていると感じることのひとつふたつは挙げられるだろう。対象が社会制度や政治だから尊く、恋愛(”なぜ自分は異性の注目を浴びられないのか”)や体重(”なぜ自分は太っているのか”あるいは”自分に○○がないのは太っているからだ”)だから卑賎だといった価値判断は棚上げするとして、世界平和を願うのと同じように、”モテたい”とか”痩せたい”といった感情に訴える本がトンデモになってしまうのは必然なのかもしれない。

トンデモ本が読んでいて笑えるのは、こうした感情を起点に世の中をより良くしよう(あるいはより多くの人を幸せにしよう)とする著者の発想が、あまりに愚かな勘違いや思い込みに立脚しているがゆえに、世間に広く受け入れられることがまずないこと、その結果、陰謀論や弾圧といった勘違いの度合いを高める姿が痛ましくもおもしろいからだ。
小林よしのりや三浦朱門といった人々は、まさにトンデモのトンデモたるゆえんを体現していると同時に、それぞれが”トンデモにあるまじき”かなり大きな影響力をもってしまった点で危険な存在でもあるといえる。
多くの子供達が家族や友人たちの力を得ながら自力で乗り越えてきた問題を、”専門家に任せろ”と心理療法の対象に取り込み、専門領域という金のなる木を確保しようとする河合隼雄などもそのひとりだろう。
多くの人々が共通して価値を認める事柄から入り込み、自分の領域に引き込みすり替え、いつのまにかとんでもない結論に引き込もうとするのは、あらゆる場面で人を動かそうとする時の常套手段といっても良い。政治だけでなく、企業や団体でも日常的に繰り返されているものだと思う。価値判断は別にしても、こうした言説に簡単に乗せられるのは個々人にとってあまりプラスの効果は低い。乗るにしても、相手の目的やすり替えの論理をきちんと見定めていれば引き際を誤る危険性は減る。
トンデモ本を純粋に楽しむという観点からは離れてしまうが、トンデモをトンデモと見抜くことは、意外に実社会でも役に立つものなんじゃないかとも思えるのである。

なお、この2冊、読書中にのぞき込まれると”ケッ、こいつ朝っぱらから通勤電車でエロ本読んでやがる”と誤解される箇所がいくつかある。通勤時に読もうと思っているかたは留意されたい。

 「トンデモ本 女の世界(上・下)」「愛のトンデモ本(上・下)」
 と学会 著
 扶桑社文庫

Posted by dmate at 2004年08月23日 21:46 | TrackBack
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