2004年08月20日

読んでから観るか...〜「ダ・ヴィンチ・コード」と「天使と悪魔」

すっかり更新頻度が下がってしまっているのだが、本を読んでいないわけではない。8月に入って最初に読んだのが、この話題の2編。それぞれ上下巻の大部ではあるが、この手の小説の常として長さは気にならない。
「ダ・ヴィンチ・コード」のほうは全米で650万部以上売れた。普段ならベストセラーは読まないのだが、信頼できる複数の知人が推薦しているのを聞き、それではと手に取った次第。

結論からいえば、ものすごくおもしろい。久々にページを繰るのがもどかしくなる感覚を思い出した。売れるのも当然だと納得の2作だ。
とはいえ、私自身はこのところフィクションから離れていたことが、この感覚を強めたことは間違いない。国内外の冒険小説やスリラーを立て続けに読んでいた頃なら、水準以上の作品程度に感じていた可能性は高い。おもしろい本を、と推薦を求められたなら躊躇なく本書を挙げられるのは確かだが、抜きんでた作品ではないように思われる。
これはほとんどの読者に共通した感想だと思うが、ストーリー展開と蘊蓄で引っ張る作品だけに、主人公を始めとする登場人物はかなり薄っぺらな印象とならざるを得ない。私などすでに「ダ・ヴィンチ・コード」のソフィーと「天使と悪魔」のヴィットリアの区別がつかなくなってしまっている。その他のキャラクターもそれなりに味わいのある人物になりうると思うのだが、やはり印象には残らない。おそらくこの作品に人物や情景の描写を書き込んでいったら、上下巻どころではなく1000ページを超えてしまい、多くの読者を失ってしまうのだろう。

裏読みをすれば、出版社か著者のいずれか、あるいは双方が映画化されることを前提に、映像化の際に自由度を狭める描写をあえて落としたのではないかとも思える(事実、「ダ・ヴィンチ・コード」は映画化が決定しているそうだ)。
主人公以下の人物はほとんど特徴らしい特徴を与えられていないだけに、強いイメージを持つ読者は少ないだろう。すなわちどんな俳優が彼らを演じても、さして抵抗なく受け入れられるだろうことが予想できる。情景にしても同じで、あまり描き込まれていないので映像化の段階で自由にイメージをふくらませることが可能だ。
いってみれば本書は、映画の原案として読むのが正しいように思われる。

作品の舞台はいずれもヨーロッパ、主人公ラングルドンはアメリカ人だが、「天使と悪魔」の舞台はスイスとイタリア、そして「ダ・ヴィンチ・コード」ではフランスとイギリス。いずれも2000年にわたるキリスト教社会の歴史と文物に関する膨大な知識がベースになっており、取っつきにくさを感じる読者もあるかもしれない。
しかし、基本的にはハリウッド映画型の活劇であり、個々の用語やら蘊蓄にあまりとらわれる必要はない。そういうものなのだろうと納得しながら読み進めて不都合はない。
私自身はこうした題材には関心もあるし、いくつか関連する本も読んだことがある。その意味ではもっと描写を大切にして、長くても良いから小説として完成した姿で本書に出会いたかった。そうならば、文句なしの大傑作になったろうにと残念でもある。

 「ダ・ヴィンチ・コード(上・下」「天使と悪魔(上・下)」
 ダン・ブラウン著 越前敏弥訳
 角川書店

Posted by dmate at 2004年08月20日 21:43 | TrackBack
Comments
Post a comment









Remember personal info?