2004年07月27日

会議室マニア

会議室が大好きな人たちがいる。注意すべきなのは、彼らが好きなのは会議ではない、あくまでも会議室だ。
会社には大小いくつかの会議室が設けられていることが多いが、私の勤務先では6つある会議室はほぼ毎日、常にだれかに使われている。会議を招集する際にもっとも困難なのが、メンバーのスケジュール調整ではなく会議室の確保であるほど、その利用率は高い。
もともと人数の多い事業所で、しかも営業所ではなく本社部門なので打合せや会議の数が多いのが、この会議室需要の最大の理由だが、必ずしも唯一のそれではない。会社には、どういうわけか会議室が大好きな人たちがいるのだ。

会議室を好む人々を、ここでは”会議室マニア”と呼んでおこう。
彼らが会議室で行うことは、少人数の打合せか、部屋にこもっての仕事だ。どちらかといえば後者のほうが迷惑なのだが、まずは前者から考察してみたい。
慢性的に会議室が不足していることから、事務所には小さくパーティションで区切られた”打合せコーナー”が設けられていることが多いと思う。私が勤務する事務所にも7箇所あり、それぞれにはPCの画面を見ながら打合せが可能なように液晶ディスプレイまで設置されている。数人で30分から1時間程度の打合せをするなら十分な場所だ。当然、そうした打合せは不足している会議室ではなく、打合せコーナーを利用するように推奨されている。
だが、会議室マニアたちはこの打合せコーナーの利用を極端に嫌う。誰とどんな打合せをするにも、「どこか部屋は空いてないか」と会議室を要求し、場合によっては自ら使っている部署と交渉して部屋を譲り受けてしまうのだ。その情熱と行動力はマニアと呼ぶにふさわしい。もちろん、ほんの30分の打合せ予定は、メンバーの都合ではなく会議室の空き状況によって決められる。

打合せコーナーをかたくなに拒否して、会議室内で行われる打合せの内容とはどんなものか? 大方の予想通り、秘密でも重要でもないものがほとんどだ。人に聞かせられない、例えば人事異動や評価などに関わるものや、他社との提携などインサイダー情報になりうる機密性の高い打合せならば、最初から場所を確保して行われるもの。呼ばれたメンバーにしてみれば、”立ち話に毛が生えた程度のもの”だからこそ、会議室の空きなど確認もしていないし必要性も感じていないのだ。
彼らはなぜ、重要でも緊急でも秘密でもない打合せのために会議室を求めるのだろうか? 理由のひとつは、彼らがそのうちあわせを重要で緊急で機密性が高いと勘違いしている、あるいはそう信じたい願望によるものだ。
人は誰でも自分の仕事に誇りを持ちたい、会議室マニアにとっては、自分が関わる打合せは会社の業績や将来に重大な影響力を持つ、戦略的な意味合いを持つ仕事でなければならないのだ。そのような仕事を、オープンエアで誰が聞いているかわかったものではないパーティションの中でやるわけにはいかない。会議室は重要で戦略的な仕事のシンボルなのだ。

会議室マニアのもうひとつの困った使い方、それが”一人でこもってお仕事”だ。
例えば上司に提出する報告書や、部下の人事評価表の作成、あるいは次の会議での議題の検討など、仕事は何でもかまわない。一人で集中して仕事をしたいとき、彼らマニアは会議室を終日確保し、個室として占有する。
冷静に考えれば、会議室にこもって集中しなければならないような難しい仕事などそうそうあるものではない。私たち日本人は、大部屋オフィスの喧噪の中でもしっかりと集中して仕事を終える訓練を受けている(それが幸せなことかどうかは、疑問なのだが)。人事評価を部下の目を離れて行いたいなら、いっそ自宅でやれば良い。あるいは、打合せコーナーだってかまわない。あえて不足している会議室(そこは当然10人、20人が同時に執務するスペースだ)を占有する必要などまったくありはしない。
これはひとえに、会議室マニアたちの”個室オフィス”へのあこがれの発露というべきだろう。彼らの多くは管理者であり、もともと決して無能な人々ではない。事務所にいるからといって集中できないわけではないのだ。
30分の打合せに会議室を要求するのと同様、会議室の占有は自分に課せられた仕事の困難さの証であり、それはとりもなおさず組織内での彼らの存在証明でもある。

会議室マニアに限らず、私たちは自分の仕事が重要だと示すためにかなり滑稽な努力をしている。書類はやたらに分厚くなるし、上司への報告時間は長引く。朝礼で10分以上も延々と業績をアピールするものもいれば、必要もないのに大声で電話をかけて煙たがられるものもいる。誰もが仕事人としての誇りを大切にしている。
以前、「上司は思いつきでものを言う」という本を採り上げ、”大声であきれてみせろ”という無責任な処方箋に”あきれて”みせたことがある。
上司が思いつきでくだらないことを言い始めるのも、彼らの誇りのゆえだ。重要な仕事を積み重ねて評価され、今のポジションを獲得した上司にとっては、部下の提案をそのまま受け入れたり、気の利いた助言ひとつできないのは誇りを傷つける。上司が思いつきでものを言う理由に関する橋本治氏の分析は的確だ。理解できないのは、そこまで的確に理由を分析しておきながら、”あきれてみせろ”という結論を導ける感性だ。誇りと存在証明をかけた”思いつき”を聞いてあきれてみせるのは、その誇りを否定することに他ならない。この本、未だに書店で平積みされているところを見るとかなり売れているようだが、本気で上司の前であきれ声を上げてひどい目にあった人は、いないのだろうか。

いずれにせよ、根拠のあるなしにかかわらず、人は自分の仕事に誇りを持っている。
それを尊重しながら間違いに気付かせ、物事を正しい(と思われる)方向に進めていくのは、実にホネの折れることだ。そう考えると、会議室マニアがつまらぬ打合せのために会議室が空いていないと大騒ぎする程度は、おおらかに調子を合わせておけばいいのかもしれない。

Posted by dmate at 2004年07月27日 22:13 | TrackBack
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