先にこの姉妹編である「物語スペインの歴史 人物篇」を読んだのだが、そこには本書での記述が戦闘の場面に偏らざるを得ず、その反動もあって人物篇ではセルバンテスの日常などあえて戦争から離れた題材を選んだとある。
まさに、こちらの本編は戦争の歴史がつづられている。扱われているのは、イスラム教徒の上陸と王国の建設、レコンキスタとレパントの海戦、そしてイギリスとの”無敵艦隊”の戦いだ。
印象的だったのは、イスラム帝国が拡大し、次々に領土を増やした時期においては信仰の多様性が尊重され、帝国の版図に組み入れられた地域ではむしろ平和な当地が実現されていたように思われることだ。
むしろ異教に対して不寛容で残酷なのは、キリスト教のほうだ。キリスト教自体が、教義の多様性を徐々に削り取り、統一性を高めて教会の権威を確立してきたこと、そもそもユダヤ教という母体を否定することから成り立って宗教であることなどが影響しているのかもしれないが、断言する材料はない。ただ、本書だけでなく中世におけるキリスト教とイスラム教徒の衝突の歴史は、好戦的で残酷なのはキリスト教徒の側であることを示しているように思う(もっとも、このテーマに関して私が最初に読んだのは「アラブが見た十字軍」なので、その段階で刷り込みができてしまっている可能性はある)。
私が習った歴史では、イスラム教徒は「コーランか剣か」すなわちイスラムへの帰依か、でなければ戦いを求める、極めて好戦的で単一の価値観に凝り固まった集団であるかの説明がなされた。事実はそうではなく、イスラム帝国では人々は自己の信仰を捨てる必要はなかった。なぜ、高校でもこのような誤ったイスラム観が堂々と教えられていたのかは不明だが、いま私たちの生活の安定を脅かす存在となっているテロリストの言動が、決してイスラムの伝統でも本質でもないことは、もっとしっかりと理解すべきだろう。
本書は、バランス良くスペインの歴史を解説した本ではない。なんといっても”無敵艦隊”の敗北から一気に1930年代の内戦まで話は飛んでしまう。しかも、その記述は短く「あとがき」なのではないかと思われるほどだ。新書である以上、500ページを超える大著にはなりえないことも確かだが、私には著者があえてこうした構成にしたのだと感じる。
著者は、スペインについてのありきたりでステレオタイプのイメージ〜燦々と輝く太陽、闘牛とシエスタ、のんびりとした国柄と陽気な人たち〜を否定してみせる。支配者の都合や面子、あるいは利権などに振り回され、その中で精一杯の立身出世を願う人々の姿は、スペインだから、フランスだからというよりも当時のヨーロッパではごく普通の人々の生活だったろう。セルバンテスの従軍記が長いのも、こうした市井の人々がこの時代にどう関わって生きていたのかを描き出すことが、本書のテーマでもあるからだと思う。それゆえ、例えばレパントの海戦でキリスト教側が勝利した戦術上の理由などはどうでも良い、些細なことなのだと思われる。
新書は専門書ではなく、あるテーマについての知の入口として機能するものだ。長さの制約もあり、テーマを絞り込んでまずは読ませることが求められるものだ。スペイン通史をダラダラと書くことを避け、同時に戦術分析にページを割かない本書の構成は、正解だと私は思う(この点での典型的な失敗例が、講談社現代新書の「新書ヨーロッパ史 中世篇」の前半概説部だ。高名なセンセイがただダラダラと歴史をつづる記述は読むに耐えない)。もっとも、終章についてはもう少し書き込んでほしかったと思う。
私にとっての最大の発見は、”無敵艦隊”なる呼称の意味だった。
本書を読んだあとでは、私は愛すべきサッカースペイン代表チームを”無敵艦隊”などと呼ぶ気にはなれない。雑誌やスポーツ新聞はこれからも書き続けるのだろうが、おそらく生涯違和感を持ちながら見出しを見ることになるだろう。
いわば新書の使命とはこんなところになるのだと思う。当たり前だと思い疑問さえ感じてこなかったことにも、さまざまな思い違いや恣意が入り込んでいる。小さなことであっても、違和感を感じるアンテナを張ることは、ますます情報があふれ実感を伴わないままに手っ取り早い解釈だけが耳に届いてしまう時代には重要なことだ。
中公新書の「物語〜歴史」シリーズは他にも多い。全てが本書のようにテーマを絞り込み、新たな気づきをもたらしてくれるものではないかもしれないが、いくつかを順に読んでみようと思う。
物語スペインの歴史〜海洋帝国の黄金時代
岩根圀和 著
中公新書