2004年07月06日

カルトはすぐ隣にいる〜「カルトか宗教か」

どうやら私には信仰心というものが備わっていないのか、どんな宗教に触れても心を動かされるということがない。若い頃ならばその主張がいかに非科学的か、声を枯らすこともしたが、最近では”まあ、そうやって世界を解釈すれば幸せなのね。良いんじゃない”という心境だ。おそらくこの先も、宗教の顔をした宗教に取り込まれることはないだろうと思う。

カルトといえばすぐに思いつくのは、オウム真理教などの新興宗教だ。
オウムは多くの犠牲者を出す犯罪行為に走ったために極めて特殊なものと映るが、実際には特定個人や集団への盲従を強いた集団である点からは、他の(未だに犯罪集団とはみなされいない)カルト集団や宗教団体と変わるところはない。
私が学生の頃、キャンパスのあちこちで活動する不思議な”大学公認サークル”があった。その名を”原理研究会”という。これが統一教会による組織構成員獲得のための学生組織であることは当時から自明だったが、文鮮明なる教祖を絶対的に信頼し、なぜか共産主義だけを徹底的に攻撃する姿勢に何の疑問も抱かずに大学生活を捧げ、当然の結果として満足に進級もできずにいる人々は、私にとって理解不能な存在だった。
彼らは別部門として新聞界も組織しており、”共産党の手先として革命運動にうつつを抜かす○○派は、学生の本分を忘れている!”と強く非難していた。確かにろくに授業にも出ないで政治活動とアルバイトに明け暮れている一部の学生は私の目からも不自然な連中だったが、彼らを非難しながら自らも留年を繰り返す原理研究会の諸君も、私には”同じ穴の狢”にしか見えなかった。今から思えば、両者ともそれぞれが別のカルトに絡め取られていたのだ。

本書では、カルトを「ある特殊な人間や考え方を排他的に信奉する動き」としている。
これは決して宗教団体に限ったことではなく、政治団体や経済団体、あるいは健康法や自己啓発などのセミナーの形を取っても表れる。何年か前に”経済革命クラブ”なる団体の代表が詐欺で告発を受けたが、どれほど割引いてみても趣味の悪い三流詐欺師にしか見えない男を多くの人々が信じ、その財産を投じたのは周囲から見るととても理解のできないものだった。統一協会の霊感商法や法の華の足裏診断など、カルトの多くは外側から見るとなぜそれを信じる気になれるのか全く理解できないものが多い。
しかし、こうしたわかりやすいカルトは、意外と危険ではないのかもしれない。
むしろ、健康法や自己啓発セミナーなどの一見まともそうで、しかもその見解の特殊性があまり表面には出てこないものこそ、私たちが警戒すべき対象なのだろう。本書によると、フランスにおいてもカルトへの警戒心は非常に大きいものの、彼らのいくつかは社会的に認知されやすい隠れ蓑を持ち、構成員を増やそうとしている。いきなり小汚い中年男をイエスの再臨だとか最終解脱者だなどといわれて信じるものは少ないが、自分自身の健康や幸福のために役立つ訓練といわれれば拒まぬものも多いだろう。
彼らは、仕事や学業での挫折、近親者の病気や死などの要因で不安定になって人々に接近し、不幸な状態を外部の何か(前世の行いであったり、化学物質であったり、あるいは電磁波であったっりさまざまだ)の責任にする。挫折感を感じたり不幸な状態にあるとき、多くの人は自責の念に駆られ、悩む。それを解放することで、精神の高揚感を作り出し、引き返せないところまで人を引きずり込むのがカルトの手法だ。

本書では、こうしたカルトの特徴やまともな宗教との違い(まあ、宗教など全てカルトだという考え方もあるだろうが、伝統的宗教においては偏った教義や特定個人への崇拝などを排除するシステムができあがっているため、カルト的な影響を人に及ぼすことは少ないとされている)、親しいものがカルトに取り込まれたときの対処の心構えなどが比較的中立の視点から描かれている。
カルトの存在は、私たちが自己を正当化してくれる論理に弱いことの表れだ。
冒頭で”この先も、宗教の顔をした宗教に取り込まれることはないだろう”と自信たっぷりに書いた私にしても、いつ、心の隙間につけ込まれるかわかったものではない。しかし健全な批判精神が備わっていれば、そのリスクを緩和してくれるだろう。挫折や不幸はほとんどの人が経験する、それでもカルトが少数派なのは、ほとんどの人にはおかしいものをおかしいと感じる精神があるからだ。
カルトを攻撃し、その死滅を願うあまりに別のカルトを作り出してしまうものも少なくないが(トンデモ界における大槻教授などが典型だろう)、著者は自らがカルトの形成に手を貸すことを冷静に避けている。具体的に個々のカルトを引き合いに出して、その間違いや巧妙な犯罪性を告発する内容ではないので、食い足りない気分にもなるが、まずはこのような本からカルトの特徴や手口についてしっかりと理解をしておくことが重要だと思う。

 カルトか宗教か
 竹下節子 著
 文春新書

Posted by dmate at 2004年07月06日 21:14 | TrackBack
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