2004年06月17日

伝統というごまかしに負けぬため〜「象徴天皇の発見」

伝統を重んじ、急激な変化に歯止めをかけようとする勢力はどこにでもある。一例を挙げれば、夫婦別姓を認めよという主張に対しても、日本の伝統にそぐわないという理由が付け加えられる。少し考えれば、ほとんどの人には姓などないのが日本の伝統であり、姓と家格、官位などが密接に結び付いていたが故の結婚による一方の姓への統一という伝統の必然は既に消失していることがわかる。”それが日本の伝統だから”という理由付けはそれ以上の議論を拒否する重みを持つかのように使われることが多いのだが、実際にはそんな伝統はそもそもなかったか、特定の状況下での合理的な選択として行われただけ、というものが多い。

天皇についての議論は特に難しい。多少血統的には怪しいところもあるが、まがりなりにも1,500年程の間、特定の一族による王権として継続してきた天皇という存在は、他のどんな要素よりも日本人にとって民族の伝統を感じさせるものだ。
しかしながら、天皇という存在が強く印象に残っている期間は実に短い。明治以降、現在までの時期を除くと、ほとんどの人が思い出せる天皇とは後醍醐天皇であり、そこから先は天智・天武にまで一気に遡ることになるのではないだろうか。
私たちが天皇について語る時、共通のイメージにあるのは今上陛下を除けば昭和・明治という近現代の天皇と、古代の歴史物語の主人公としての数人の天皇に限られるといっても良いのだ。比較的著名な桓武や後鳥羽でさえ、古代の推古や仁徳に知名度で劣るだろう。

ここで注意すべきことは、歴史で習う天皇とは、すなわち戦乱の主役となったり、親政を通じて改革の担い手になった天皇であり、それ以外の天皇については存在すら忘れられているということだ。そのような天皇はむしろ例外的な存在で、私たちは少数の目立つ例外や天皇の地位が確立する以前の古代の神話をもって、天皇観を形成してしまいがちなのだ。
夫婦別姓の禁止論者の多くがより所にする”日本の伝統”が実際には100年少し前に成立した旧民法に過ぎないのと同じく、明治から大正、昭和の天皇による親政(しかもその時期の多くは決して文字通りの意味での親政とはいえない)とドイツからの輸入品に過ぎない絶対君主的な存在という、極めて短期間の例外的な天皇観をもって日本の伝統としてしまうのは、あまりに愚かな行為といわざるを得ない。

本書は、戦後の日本国憲法における象徴天皇制成立から筆を起こして、邪馬台国から専制王としてのオオキミ、そして天武・持統による神格化の時期を経て徐々に天皇の地位が権威的な存在として確立する歴史を通じて、象徴天皇というありようが決して戦後アメリカから押し付けられた新概念ではなく、むしろ中世から近世にかけて確立された日本の伝統的な天皇の姿であったことを説き明かす。それゆえに多くの日本人が今の天皇制を肯定し、受け入れているのであって、押し付けられたのであればこのように短期間で根付くものではなかったことを示している。
大日本帝国憲法が手本としたドイツ帝国における、フリードリヒ大王のような専制君主など、そもそも日本の伝統ではない。明治憲法下の重臣たちにもその意識は希薄だったにもかかわらず、シビリアンコントロールの不備から天皇神格化とその権威を利用しての軍部独走という失敗について、私たちは十分な認識をもった上で天皇を語る必要がある。

決めつけるようだが、人を説得する時に”それが伝統だから”などと口にする人物など、信用に値しないと私は思う。彼らが語る伝統など、旧民法と同じくほんの100年前の事象や価値観に過ぎず、それが彼らにとって都合が良く利益になるから、あるいは個人の価値観と親和性が高いから、選択されていることがほとんどだ。
伝統といえば縁遠いと感じるかもしれないが、新しい試みに反対する時に「それはうちの社風じゃない」といった意味不明の主張をするのも、全く構造は同じだ。
こうした伝統論者に惑わされず、論理の欠陥をきちんと指摘するためにも(ただし論理の欠陥を明らかにされても平然としているのが伝統論者の特徴なのだが)、少なくとも関心をもつ事柄についてはある程度の知識は必要だ。天皇という”伝統”について語ろうとするなら、本書を含む今谷氏の著作は、ぜひ押さえておくべきと考える。

 象徴天皇の発見
 今谷明 著
 文春新書

Posted by dmate at 2004年06月17日 20:46 | TrackBack
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