本書は同じく中公新書からの「物語 スペインの歴史」の姉妹編だが、実は先に出た正編のほうは未読だ。スペインについては、だいぶ以前に当時の上司から堀田善衛氏の著書を借りて読んだのをきっかけに集中して読んだ時期があったが、最近ではハプスブルク家の歴史の中で時折その王家について触れられるのを目にするに止まっていた。前に読んだ本は、1930年代の内戦と国際旅団に関するものが多く、それ以前のスペイン(あるいはカタルーニアやグラナダなどのイベリア半島の諸国)についてはそれほど親しんでこなかった。
上述の、ハプスブルク家による世界帝国の出現時に主役の一人として登場したのが、本書でも題材となった女王ファナだ。
スペインとオーストリアの両王家を掛け合わせた結婚の結果、ハプスブルクの子供たちだけが生き残り、(一時的で、名目的なものとはいえ)巨大な帝国を生み出したこの結婚政策は、一方では実に華やかな歴史の一幕と見える。しかしその陰で、狂人とされ幽閉の後に忘れ去られたファナの生涯を見ると、王族になど生まれるものではないと感じざるを得ない。自らの意志で統治する環境があればともかく、ほとんどの場合はさまざまな利害関係の中で採り得る選択肢は限られるし、臣下といえど都合の悪い君主を廃するのにためらいさえないものも多い。
いくつもの王家が存在して不確かな国境や領土の支配をめぐり戦争と陰謀が繰り返されるヨーロッパの歴史に触れるにつけ、少なくとも名目上の君主を共同でいただくことで決定的な国内の分裂を防いできた日本は、平和な歴史を持っているといえそうだ(もちろん、血なまぐさい陰謀がなかったというわけではないのだが)。地制上の有利はあるにせよ、平和であり続けるための知恵までを”平和ボケ”という便利なスローガンで否定することには大いに疑問を感じる。
さて、本書にはファナ女王だけでなく、セルバンテスやガウディといったスペインを代表する人物のエピソードが並ぶ。
特にセルバンテスの住環境と彼とその家族が巻き込まれた殺人事件など、歴史上の人物にも日常生活があり、隣人との関係があることを思い出させてくれる。王家の人々や軍隊の指揮官についての歴史に触れる機会は多いが、歴史の楽しみはそれだけではない。私は中学高校の授業における歴史の扱いをいまの2倍にしても良いとさえ思っているのだが、それはこうした楽しさにたどり着く前に人名や地名、年号の暗記に嫌気がさして歴史から離れてしまう人々が多いからでもある。
NHKの番組の中で、「その時歴史は動いた」は比較的高い人気を誇っているもののひとつだろう。ああした番組が語る歴史のひとこまにしても、その背景となる知識の有無によって印象は大きく異なるはずだ。せめて、学校教育の場でも、こうした本やエピソードに触れる機会があれば、歴史というものへの認識は大きく変わってくると思うのだが。
物語スペインの歴史 人物篇〜エル・シドからガウディまで
岩根圀和 著
中公新書