実は更新が滞っていたのは、この本の感想をどうまとめるべきかを考えあぐねていたことによるところが大きい。朝鮮半島については、北朝鮮による拉致問題や核疑惑が大きく報道されていることからも多くのかたが関心を持っていると同時に、左右いずれにもこの問題について非常に敏感に反応をする人々が多い。まさに本書の著者がいうとおり、私たちの多くが朝鮮半島を、あるいは韓国と北朝鮮とを普通の隣国としてみることができていないのだ。
いくつかのエントリーをご覧になればおわかりの通り、私はこのweblogで時事問題や政治問題にはあまり深く関わっていない。特に前者については、事件や問題の渦中で中途半端な認識や知識のままで記事を書くと、独善を免れることは難しいだろうという認識によっている。事実、イラク人質問題や佐世保での小学生による殺人事件などでは、一時の感情にまかせて”自分以外のだれかを罵るためだけの”エントリーが散見された。私自身も、さしたる根拠もなくこうした事件の”犯人”を決めつけ、非難する傾向がないとはいえない。それゆえに、のんきに安全地帯から時事問題を論評することはあえて避けている。
朝鮮半島に対する認識は、彼らが隣国であり、あるいは身近に隣人として住む人々であるがゆえに、常にいま現在の問題だ。このため、あまり無責任な主張はしたくないと思っているのだ。
本書で著者が主張することは極めてシンプルである。
朝鮮半島について語る前に、韓国や北朝鮮がどんな国なのかを先入観や思い込みを捨てて事実として認識することが必要という主張であり、本書はその認識の代表となるいくつかの統計や事実を取り上げ、私たちが多かれ少なかれもっている思い込みを否定してみせる。
確かに、私は北朝鮮の食糧危機が叫ばれたときにその水準が世界におけるそれとどの程度違うのか、あるいは同程度なのかについて調べようともしなかった。あるいは、普段でもその経済力がどの程度のものかについてさえ、さしたる認識はなかった。
歴史的な経緯についても同様だ。日韓併合の歴史については、文春新書の「韓国併合への道」(呉善花 著)を読み、当時の状況を軽くつまみ食いした程度で、何かを語れるほどの認識は持たない。このあたりが、自らの実践の中である程度著者の主張の当否が判断できるビジネス書とは様子が違う。
本書により、韓国や北朝鮮の現在の姿や、日本が植民地としていた時代の(植民地支配という言葉自体も、価値判断を含んだものだということは認識しているが、適当な言葉が見つけられないため)経済発展や生活の実態、そしてそれらと諸外国の状況や当時の他国による植民地の姿との比較は、私自身がこれまで一面的な見方でしか朝鮮半島に触れてこなかったことを痛感させてくれた。それは、日本は朝鮮半島を侵略し、文化的にも経済的にも暴虐の限りを尽くしたという歴史認識であり、一方で北朝鮮の不透明な政治体制への不信感、高度成長を遂げる韓国へのライバル意識などが綯い交ぜになった、反感と親近感と罪悪感が入り交じった感情だ。多くの日本人がこのような感情を持ち、ときおりその一面が強く表現されるのではないだろうか。
無知が敵対心の源泉になる、というのが「太平洋戦争」を読んでの私の実感だった。私たちは朝鮮半島について”知っているつもり”で”知っていなければならないプレッシャーを感じ”ており、実際には”それほどは知らない”でいる。単なる無知ではなく、無知であってはいけないという雰囲気の中での無知だけにたちが悪いといえるだろう。
それでも、無知を放置することは何も変えることにならない。
日刊の新時代といった表現があちこちで見受けられるが、まず相互をきちんと認識し、似ていることと違うこと、歴史的な事実と食い違いの原因とを知ることから関係はスタートする。著者のいうとおり、違いを理解したからといって、すぐにそれが乗り越えられるほど異文化とつきあうのは簡単ではない。むしろ、食い違いは消えないと思うべきだろう。
しかし、その上に立って新たな関係を築くことは可能だ。卑近な例ではあるが、日米間で交渉のたびにパールハーバーや広島・長崎を持ち出してやり合うということはありえない。決してお互いに全てを忘れて水に流したわけではないが、歴史を知った上で新たな関係づくりに成功したというべきだろう(それゆえ、「9・11ジェネレーション」で明らかにされるアメリカの若者の歴史認識の貧しさには危機感があるのだが)。
新書は新たな知への入門として最適だと何度も書いたが、本書もまた、朝鮮半島について逃げずに、面倒がらずに正面から取り組むきっかけとなるだろうと思う。
朝鮮半島をどう見るか
木村幹 著
集英社新書
朝鮮半島の認識はぼくも気になっているところなので参考になります
(ご紹介ありがとうございます m(_ _)m)
ぼくの住んでいる広島は朝鮮とはそれほど近くないですが、やはり朝鮮人囲い込み的な跡もあるし・・
(コミュニティとして隔離という感じの)
このあたりを調べなおすことも個人的な課題となっています
Posted by: m_um_u at 2004年06月17日 09:21この本についてネットで検索してみると、かなり口汚く罵るような発言をいくつかみつけました。
この問題について、先入観を取り払おうとするのは難しいようですね。特定の立場に立つことを鮮明にしない限りは(敵か味方かをはっきりさせなければ)認めないという雰囲気があるとすれば、いつまでも今の曖昧でスッキリしない関係は続いてしまいます。
とはいえ、ことが個々人の不快な体験、被差別体験とも重なるだけに、簡単に結論を出せないところもあり難しいです。まずは、現状について自分自身の認識をきちんと持つことがスタートラインであることは確かだと思っています。
トラックバック記事も拝見しました。難しいからこそ、納得のできる事実や論理をきちんと求めていくこと、大切ですね。
祖父が朝鮮総督府の逓信技官だったこともあり、父や伯父、伯母など全員が半島生まれなので、小さい頃からよく話を聞いて育った。その話でぼくが抱いていた印象と、世間の朝鮮への感情が大きく違うことから、朝鮮に関していろいろと本で読んだりして自分では考えてきた方だと思う。
そんなぼくが新しい隣国としての韓国に出会ったのは、80年代の前半だったか・・・、書店でふと手にした一冊の本であった。
関川夏央著「ソウルの練習問題」
近くて遠かった隣国が、はじめて身近な存在として感じられた瞬間だった。因みにこの本は関川夏央さんの処女作品。
Posted by: MAO at 2004年07月29日 07:56MAOさん、紹介ありがとうございます。
今日、書店で見つけたので「ソウルの練習問題」買ってきました。
読み終わったらまた感応など書きますね。