このところ、太平洋戦争や東京裁判に関する本が続いたこともあって、日本が経験した戦争は、人類の戦争の歴史の中でどの程度特殊だったのか、あるいは”当たり前の”戦争だったのかについての知見を得たいと思っていた。太平洋戦争当時の日本は帝国主義的な拡張の歴史のほんの終端に位置したにすぎないし、その代表選手ですらない。もちろん、それをもって過去を賛美する理由にはならないが、人類の歴史がたどってきた戦争の道筋をきちんと把握しておくことが、日本の戦争とその責任について考えるときには重要だ。
そんな気分で手に取ったのが本書である。サブタイトルには「人類はどう築き、どう壊してきたか」とあり、戦争の歴史とその性格に関して俯瞰できるのではないかとの期待を込めてページをめくった。
本を書くということは大変な労力を要するものだろう。その背景には膨大な知見や経験が必要だろうし、記憶違いなどによる間違いを防ぐための資料収集と確認など、200ページ分の文字をワープロソフトで打ち込む何倍もの作業が存在する。こうして一冊の本を書き上げるには、著者自身のさまざまな調査や経験があるのは間違いないだろう。それは尊重すべきだと思う。
しかし、だからといって本書を高く評価する理由にはならない。単純化すれば、本書は戦争に関する単なるエピソード集にすぎない。各章の最後には必ず著者の主張が配置され、あたかも人類の戦争と平和の歴史が著者の主張を裏付けるかのような構成にはなっているものの、単に主張の前振りとして長々とエピソードが積み重ねられているだけなのだ。
主張の対象は、地雷の廃絶であったり日中・日韓などの領土問題であったりと様々だが、本書において著者は自信の主張に裏付けを与えようとはしない。あたかも自説の正しさは歴史が証明しているかのような示し方をしているのだが、さして説得力はなく、つぎはぎだらけで一冊の本を通しての流れもない。どこから読み始めてどこでやめても同じ印象しか残らないので、あとから”対人地雷の話はどこだったか”と探そうとしても苦労するほどだ。
なるほど人類が続けてきた戦争のさまざまな側面について、あれこれと雑学的な知識を仕入れたいのならばこうした仕立ての本も有益かもしれない。しかし、それなら著者の主張をさしたる根拠も示さず自明のものであるかのように付け加えるのは、蛇足以外の何者でもない。出版社の説明はこうだ。
本書は、過去から現在まで、人類がどのように平和に取り組み、それがどう成功し、どう失敗してきたかをテーマごとに考察し、その中から現代の国際政治がいかにして平和の確立を図るべきか、ヒントを探ろうとする試みである。
本書は戦争に関するさまざまなエピソードを気軽に読みたいという需要には応えるものだ。したがって、著者が顔を出したら話半分に聞いておき、暇つぶしに読む程度が適当な扱い方というものだろう。もちろん一番良いのは、788円は他の本の購入に充てることだ。
余談ながら本書の195ページに以下のような文章がある。
まだ白骨化しきっていない遺体をやむおえず踏みながら、道を渡る時の骨の砕けるあの音、靴底から来るおぞましい感触、目隠しされたままのあのしゃれこうべ……。
「平和」の歴史〜人類はどう築き、どう壊してきたか
吹浦忠正 著
光文社新書