2004年05月21日

無知からはじまる敵意〜「太平洋戦争」

東京裁判に関する本を読み書評を書いたところ、コメントをくださったm_um_uさんの仲立ちを得て「HPO:個人的な意見 ココログ版」からのトラックバックを受け取った。関連する記事を見つけて少し以前のエントリーからのトラックバックを送るというのは私もやったことがあるのだが、一度書いた文章を単に過去へ押し流してしまうのではなく、新たなコミュニケーションのために”使い回す”のも、weblogの使い勝手の良いところだ。
さて、当該エントリーで採り上げられていた児島襄氏の「太平洋戦争」だが、なかなか書店で見つけることができなかった。毎月の新刊発行点数が多く、過去の出版物をストックしておくことは書店にとって困難になってきているのだろう。
上下巻を通読しての最大の感想は、「日本軍強いじゃないか」だった。

まず誤解しないでいただきたいが、私は極めつけの戦争嫌いだ。また、体育会の上下関係にさえ嫌悪感を隠さないほどなので、軍隊の組織などまっぴらごめんでもある。上官が死ねといったから死なねばならぬなど、あまりに馬鹿げていると感じる。それだけに、玉砕攻撃を賛美するつもりなどさらさらない。それでも、思っていた以上に日本軍が各地で善戦し、連合国軍にも大きな被害を与えたことは、驚きだった。
昭和16年12月から20年8月までの太平洋戦争のおおまかな流れは、私だけでなく多くのかたにとって共通の認識となっているだろう。真珠湾攻撃とマレー半島への進出に始まる半年間程度の華々しい勝利の連続、その後拡がりきった戦線のあちこちにほころびが見え始め、体制の整ったアメリカ軍の前に玉砕と後退を余儀なくされ、最後には沖縄での地上戦と本土空襲による大きな被害を受けての敗戦、たった3年半と少しの間で絶頂から奈落への転落は幾多の物語やドキュメンタリーで繰り返し描かれている。私の持っていたイメージは、特に後半の戦いにおいて日本軍は質量ともに優勢な連合国軍の前に一方的に負け続けた、というものだった。

だが、実際には激戦地として知られたガダルカナル島だけでなく、インドネシア、マリアナ諸島、フィリピン、そして硫黄島と、もちろん日本軍は破れたが連合国軍もまた、大きな犠牲を払っている。日本軍はやはり強かったのかもしれないが、それ以外にも理由がある。
この背景には、負けて捕虜になることについての日米の価値観の大きな相違がある。緒戦において日本軍の前に総崩れといって良い状況となった連合国軍は、比較的あっさりと後退し、あるいは降伏して捕虜となっている(おそらく日本軍の想定を超えていたであろう大量の捕虜の処遇を巡り多くの戦争犯罪が犯されたことは、日本人として極めて残念であり遺憾なことだ)。一方で、日本軍は文字通り最後の一兵卒までが戦い抜き、まるで死ぬために戦っているかのような印象を与える。昭和16年東条陸相により公表された「戦陣訓」は、次の文言が含まれることでよく知られている(戦陣訓の文言は、「探検コム」によった。このサイトでは他にも「軍人勅諭」や「ポツダム宣言」を読むことができる)。

第八 名を惜しむ
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。

私は当時においてこの文章がどの程度の影響力を持っていたのかを知らないので、この文言が日本軍兵士をして降伏という道を選ばせることなく、部隊が全滅するまで戦闘を継続し戦えなくなったものは自決という行動を取らせしめたのかどうかは論評できない。しかし、ある程度の戦力の喪失や戦略面での劣勢認識によってその戦闘における敗北の判断をし、もって被害を最小限にとどめるという発想が日本軍には乏しく、文字通りの殲滅戦とならざるを得なかったことが敵である連合国軍の被害をも拡大したことは想像に難くない。連合国軍兵士にとって、すでに敗れているにもかかわらず戦いをやめない日本軍兵士の姿は、恐怖さえ覚えるものだったろう。

さて、「HPO:個人的な意見 ココログ版」のエントリーにはこうある。

やっと、キーワードが出てきたのかもしれない。相手に対する無知が生む恐怖が戦争を引き起こし、深刻化させたように思えてならない。

この引用部自体は、作戦行動に必要な情報が現在ほどには得られないなかでの戦闘の難しさ、それによる悲劇に言及したものだが、上述の降伏に関する価値観の相違のように、相互への無知と無理解が憎しみを拡大させたであろうことも容易に想像できる。本書にはアメリカ兵が日本人との戦いとドイツ人とのそれとの間で持っていた意識の差を示す調査データも掲載されているが、理解できない行動(=負けているのに戦いやめず、死んでいく)を取る異国人への恐怖が敵意に転化しているのがわかる。
自分たちの価値観で量れない行動や考え方を前にしたとき、驚き、恐怖するのは自然であるとしても、それを敵意に変えてしまう限り、この世からは紛争が減ることは期待しにくいだろう。しかし、単に歴史的な恨みの蓄積だけでなく、人と人が相対したときの価値観のぶつかり合いから生じる対立は、個々人の感覚に根ざしたものであるだけに解消するのは容易ではない。メディアによって相手の姿がねじ曲げられて報道され、個人の敵意は集団を伝播し、あっという間に一つの国民を覆ってしまう。サダム・フセインという悪役を得たあとのイラク人への評価もそうだし、今まさに進行しつつある、捕虜虐待や誤射によるアメリカ軍への評価でも同じことだ(もちろん、虐待や誤射の事実はきちんと解明して責任者を処罰すべきだが、問題はそれら表面化した行動をもってすべてのアメリカ人は、という評価をしてしまうことにある)。
相互理解も相互承認も、口で言うほど簡単なことではないのだ。

私たちはこの「無知/無理解−恐怖−敵意」の流れから逃れることはできないのだろうか。個人の実感としては、難しいとしかいいようがない。突然卑近な話になってしまうが、非喫煙者である私にはビル出入り口にある灰皿の前にたむろして喫煙を行う者たちの発想が全く理解できない(出入り口の灰皿は、禁煙の館内に入る前にタバコを消すためのもので、喫煙所であることを示すものでは必ずしもない)し、当然たむろする全員を他の人間の不快感を気にもとめないごろつきと決めつけ、敵意を隠すこともしない。だが、彼らにとってみればわざわざ事務所やロビーではなく、屋外でおとなしく喫煙しているのだから、感謝されこそすれ敵視されるおぼえはないだろう。結果として、私と彼らの溝はさらに深まる。
では、私は世の中のすべての喫煙者を敵視しているかといえば、決してそんなことはない。仲の良い友人にも喫煙者は大勢いるし、彼らがたばこを吸うときには風上によけるくらいで睨んだりはしない。
結局のところ、対立点ではなく共通点でまず関係を築くことができれば、そのあとで対立を回避することは可能なのだ。信頼関係があれば、喫煙マナーをあとで注意することもできるだろう。戦争と喫煙を同列で語ることはできないが、人と人との関係である以上は基本は通じる面があるはずだ。
一度戦争という手段に訴えたあとで、相手の美点を認め手を握りあうことは極めて困難だろう。ことに、戦争被害の記憶を政治的な意図で利用しようとする勢力が強い場合にはなおさらだ。現在は太平洋戦争後よりも国際関係も複雑化しているしプレーヤも多い。だが、私にはアメリカにもイラクにも、相手を理解しようという意思があることを信じたい。それは大統領や宗教指導者といった人々ではなく、市井の人々こそが持ちうるものだ。
私たち日本人もまた、イラクにとって見ればアメリカを支持する多くの国々の一つにすぎない。しかし、少なくともイスラム教とキリスト教という長年蓄積された複雑な対立構造から自由であることも事実だ。私たちがまずイラクを知り、イスラムを知ることが出発点になるのではないかと思う。

本書をきっかけに考えてみたが、まだまだ粗く強引な論になっていると思う。
しかし、こうした多様な読み方ができるのも、優れた書籍ならではのことだろう。事実が淡々と語られる本書から学ぶべきことはまだまだ多い。

 太平洋戦争 上・下
 児島襄 著
 中公新書

Posted by dmate at 2004年05月21日 21:42 | TrackBack
Comments

D-mateさん、こんばんわ、

トラックバックいただいたので、参りました。私の記事をとりあげてくださっていて、とてもうれしいです。ありがとうございます。

↓にリンクさせていただいているのは、「距離、時間、そして統治と戦争 」という、私なりに、他者に対する「無知、恐怖」をどう人間は克服してきたか、について書いたつもりです。もしお読みいただき、ご感想などいただけると、とてもうれしいです。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/03/post_13.html

では、おやすみなさいませ。

Posted by: ひでき at 2004年05月22日 02:07

コメントありがとうございます
リンク先エントリーを拝見しました。距離の近さが相互承認と理解を呼び、争いをなくするのであれば、ネットのもつ可能性は極めて大きいですね。
一方で、近づきすぎたゆえの争いも起こるわけで、まずは他者の存在にゆっくりと慣れていくしかないと思います。
”つながる”欲求にも強弱があります。ヨーロッパにおいては、かつてのローマ帝国=世界帝国への追想が常に彼らをして統合を求めさせてきたように思いますし、イスラム世界にも同じような理想が共有されているのかもしれません。一方で、東アジアが中国を中心とした統一的な社会であった頃を懐かしみ、理想とする考え方は日本人にはあまりないように思われますし、アメリカ合衆国はヨーロッパから脱出した人々によって作られ、自らの価値観を遍く広げることを求めているようです。欲求は同じでも、その実現の方向はさまざまです。
私たちは足下の争いさえも克服できずにいます。ネットは自分とは異質な人々がどれほど多いかを否応なく示してくれます。私自身についていえば、まずはその事実を承認することから始めねばならないと思っています。道のりは長いですが。

Posted by: dmate at 2004年05月22日 14:35
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