小学校の頃は理科が好きだったが、中学・高校と進むにつれて本(とくに小説)を読む方がおもしろくなっていった。高校1年のとき、地元の工業大学には行きたくなかったという単純な理由で(私は中学高校を過ごした土地を、ついに一度も好きになれなかった)文系に宗旨替えしてからは余計に理科系の勉強をサボり始め、物理の成績などかなり悲惨なものだった(唯一の例外は化学で、こちらは卒業まで上位だった、なぜ私が化学だけは楽しみ続けることができたのかは不明だ)。
当時はやり始めたポケコンへの関心はあった。だが、毎月の本代を捻出するのが精一杯の私には買えず、”すっぱい葡萄”というわけで「プログラミングなどという技術なしでは使えない道具が役に立つか」と切り捨ててしまった。余談ながら、このときの拙速な決断がなければ、私は今頃マーケティングではなくプログラミングを生業としていたかもしれない(あるいは技術者になっていたかもしれない)。
前置きが長くなってしまったが、こんなわけで私は「マイコン」「パソコン」にはちょっと乗り遅れたほうだ。最初にパーソナルコンピュータを購入したのは1990年のことだったし(買ったのはEPSONの「PC-386M」)、パソコン通信を始めたのも半年近く後だった。
むしろ、当時は汎用のPCよりもワープロ専用機の方が元気で、大学4年の中頃にローンを組んで購入した東芝のRupoというワープロで卒論を作成し、システム手帳のオリジナルリフィルを作ったりもしていた。当時のPCでのワープロソフトといえば「一太郎」のバージョン3あたりが主流で、表組みの多い文章などを作成する上ではまだまだワープロ専用機にアドバンテージがあったのだ。文章作成の電子化が、コンテンツの配布や再利用性よりも”手書きよりもきれいに”に向かっていた頃のことだ。
いうまでもなく、パソコン通信に参加したことが私の文章作成を大きく変えた。罫線やら表組みやらで装飾するのではなく、文章そのものの組み立てで意見を伝えること、つまり文章を書いて人に伝えるというコミュニケーションの原点に、一度引き戻されたわけである。またこの時期仕事ではちょうど外資系コンサルタントと半年間にわたって共同作業をする機会があり、彼らが作成するプレゼンテーション資料の技術を教わることができた。一方ではテキストのみで論旨を伝える難しさを実感しつつ、もう一方ではチャートを用いてより効果的に伝達するための手法を学べたことは、その後の仕事で大いに役立ったと思う。
1990年代の前半はパーソナルコンピュータで便利にできることが日に日に増えていく実感があった。DOSの管理できる貧弱ともいえるリソースの上で、フリーのツールを組み合わせながらテキストファイルをあれこれと処理していた時期から、Windowsが普及し始めグラフィックスの表現力は飛躍的に向上する時期だ。当初はグラフィックスを多用したことで処理がかえって遅くなり、DOSのほうが生産性が高い分野も多かったものの、速度の向上やメモリ量の増大などにより環境は大きく変わっていった。
同時並行でPCや周辺機器の価格は下がり、PCは「OAコーナー」から各人のデスクへと拡がった。やがてPCはネットワークでつながれ、個人とともにグループワークの生産性向上と、意思決定構造の変革までを夢想させてくれた。”フラット型組織/文鎮型組織”といった組織構造の変化や意思決定プロセスの変革(それは多分に”Power to the People”的な響きをもって、当時の若手社員を魅了したのだ)があちこちで語られた。システム部門が管理する大型コンピュータによるシステムへの不満、バブル期に意思決定と実行に携わった中堅層(端的にいえば団塊の世代だ)がバブル崩壊後の景気後退になんの有効策も打ち出せずに精神論に逃げていることへの反感などが私の気分を後押ししたのだと思う。
20代後半から30代前半にかけては、責任ある仕事を自分でこなす喜びを覚え、意思決定の場に関わり始められる時期でもある。上述のように、コンサルタントや経営幹部を含む困難な仕事から、新たなスキルを次々と身につけてもいた。自分自身の成長期とPCの成長期とが重なったことが、この頃のコンピュータとネットワークの進化をより魅力的なものに見せていたのだと思う。
この蜜月は、私にとってはWindows95の登場とインターネットの普及前夜に最高潮を迎え、そして退潮に向かったように思う。
Windows95はそれまでさまざまなテクニックの組み合わせの上に構築できていた快適なネットワーク環境を標準化することで、爆発的な数のユーザーに”PCとの仕事/暮らし”を解放した。同時に、その少し前からネットワーカー(当時はこんな表現があったのだ)を惹きつけ始めていたインターネットとWEBの活用もまた急速な広がりを見せ、あっという間にPCとネットワークは仕事や生活の環境として主役になってしまった。
もちろん、PCでテレビ録画や圧縮した動画のPDAでの閲覧、MP3による携帯型音楽プレーヤの大革新、デジタルカメラと携帯電話の進化など、この間も大きな変化はあったし、PCと周辺機器の用途は広がり続けている。しかし、それらは大きく広範囲になったが故に、私にとっては”すでに知っていることがPCとネットワークに置き換わる”という状況でしかなくなってしまった。新しいOS、新しいアプリケーション、新しい機器、そしてPCの新機種が次々に登場して実現するのは、すでにあるものや予想できるものにすぎない。これは私自身が新しいものへの感動や驚きを失いつつある老化現象なのかもしれないが、PCがすでに日常になってしまったことの表れでもあるだろう。
そんなわけで、Tatsuhさんから頂いたトラックバックにあるとおり、ハードウェアへの関心が一時期に比べると著しく低下しているのは、私にしても同じだ。私に関していえば、フルスペックのPCを常に持ち歩いて使う、という希望が未だ完全には叶えられていないからこそ、超小型WindowsPCへの期待が残っている。けれど、それは以前感じていたような新機種全般への関心ではないし、毎月のように雑誌に目を通して魅力的な新商品のスペックを読み比べるといった行動にも結びつくことはない。
私なりの結論は、自分自身の成長期にともに進化していたPCが成熟を迎えたことが、この関心の低下の原因だと考える。当然、PCと同じく私も一定の成熟を迎えてしまったということなのだろう。
インターネットとWEB、そしてweblogなど、新たな展開はハードではなくネットワークとそこにつながるヒトによってもたらされている。ヒトが機械に引っ張られるのではなく、むしろ歓迎すべき方向なのだろう。機械への興味は薄れてもヒトへのそれが一緒に薄れたわけではない、むしろヒトとつながるための手順が簡略化されコミュニケーションは容易になった。だからこそ私はweblogを読み、書いているわけだ。大手プロバイダ「@nifty」によるweblogサービス「ココログ」が元気なのは、この体験を持つ、いわば”オンラインコミュニケーションの第1世代”が新たなフィールドに出てきていることの表れでもあるように思える。
周回以上遅れてPCにたどり着いた私は、パソコン通信と仕事によってPCという道具の成長を体験してきた。インターネットはすでに十分巨大な存在で、ウィルスや情報流出などのマイナス面も抱えつつ社会の基盤のひとつとなりつつある。けれど、コミュニケーションはヒトの作用なので、完成することはなく、日々変化し続ける。機械からコミュニケーションへと関心が移っていくことは、おそらく好ましい変化なのだと私は考えるのだ。