企業の教育担当者の多くが頭を悩ませる課題の一つが、有効な新人教育とはどうあるべきかだろう。受講している新人も毎日悩んだり迷ったりしているのだが、一方の教育する側も決して確信を持っているわけではない。
新卒で採用された若者の多くは意欲と活力にあふれている一方で、生活のリズムや対人の行動規範など、基本的な部分で新たな環境に適応する準備が必要だ。社会人とは違う原理で生きてきたのだから当然ともいえ、4月1日からスイッチが切り替わるように意識も行動も変えられる方がおかしい(まれには学生時代から社会人のように考え、行動してきたものもいるだろうが)。
新人研修に求められる役割は、まずはこのスイッチの切り替えにあるといっても良い。これがしっかりとできれば、他のカリキュラムはどうでも良いという考え方さえあるだろう。
誤解しないでいただきたいが、新人教育で何を教えようと無駄だと主張しているのではない。会社の取り扱い商品やサービス、顧客と流通の特徴、取引のルールなどの基本的な知識は早く仕事を覚える上で基盤となるものだし、報告書や伝票発行などの業務上の決まり事も早く身につけるに越したことはない。
しかし、いくら新人がやる気にあふれているからといって、座学で延々とこれまでは無縁だった物事について話を聞かされて集中力が持続するわけがない。座学研修にあまり多くの成果を求めるほうが間違いだといっていい。新人研修に限らず(いや、むしろ中堅以上の社員では新人以上に)、座学での集中力は続かない。数時間が限度といってもいいだろう。これを毎日続けるのはさすがにナンセンスなので、グループ学習や実習などを組み合わせながら、新人教育は組み立てられるわけだ。
さて、読んでいるのが会社員のかたなら、各自の社内で新人教育に講師として出て行くメンバーの顔を思い浮かべていただきたい。素人の集中力を数時間にわたって途切れさせることなく、ポイントを絞り込んだテーマをわかりやすく伝えられる人が選ばれているだろうか? 自信を持ってイエスと答えられる会社は少ないのではないかと思う。
私は一つの会社でしか勤務したことはないが、他社の知人に聞いても新人研修で学んだことなどほとんどが忘れているし、役に立たなかったという。私自身も、5週間もあった新人研修で、工場での実習後の懇談会で「やってみて危険だと思った場面や、無駄と思えるような工程があったらぜひ教えてください」と求めた工場長が、新人から多くの意見が出されるや「そのような瑣末な指摘ではなく、生産現場に触れての感動はなかったのか」と怒り出したことくらいしか印象に残っていない(信じられないだろうが、これは事実だ)。
業務に必要な知識は、やはり必要に迫られて身についていくものであって、座学研修はその手助けにしかならないといって構わないのではないか。現場に出て何ヶ月・何年と経過する中で、日常の業務で知識の不足を実感し、それを学ぶ場としての教育研修は確かに有効だ。だが、まだ実務経験を持たない段階での新人研修では、座学研修が有効である範囲は非常に限られてしまう。
結局のところ新人研修の難しさは、どんなに工夫をこらしても”スイッチの切り替え”以上の成果にはつながりにくいにもかかわらず、一定の時間をなんらかのカリキュラムで埋めなければならない、という性格にある。
私が受けた新人研修の経験での最大の苦痛は、どう見ても他人に物事を説明するスキルに欠けたオヤジが延々とテキストを読み続ける、明らかに無意味な時間に耐えなければならないということだった。なぜ、もっときちんと説明のできる人材を配置しないのかと不満に思っていた。しかし、今から考えると、講義内容はどうでも良く、その無意味な時間にも遅刻せずに集合し、じっと座って聞いていることが、私に求められていることだったのだ。
新人教育のすべてがこうだとはいえないし、真剣に教育に携わるかたには失礼な内容になっているかもしれないが、私は新人研修についてはこんなふうに感じている。
私の勤務先でも新人研修の方法は毎年のように修正され、ここ何年かは1〜2週間で事業領域や取引について本当に基本的な内容のみを伝え、1カ月ほど配属先での仕事を経験させてから再度呼び戻し、業務上の知識などを教えるという形式になっている。
まずはスイッチの切り替えを優先し、教育は教育である程度の効果を発揮できる方法として、評価できるのではないかと思う。
どんな教育にせよ、受講者の側がその知識やスキルを求めていなければ効果を上げるのは難しい。実際には、求められている知識をかなり絞り込み、わかりやすく伝えても、1年後には多くの者が忘れてしまうのが教育研修の姿だと思う。その中で、目的意識を持って臨み、時間を無駄にせずにポイントをきちんとつかみ取れる者は、他の受講者よりも大きな恩恵を受けることができるものだ。
いま、新人教育を受講しているかたがたにアドバイスできるとすれば、自分に不足している知識やスキルは何か、どんな領域かを知るためにこの時間を使うことだ。たとえば財務知識に弱みがあると気づけば、その学習方法はいくらでもある。目の前に出てきてテキストを棒読みしている講師は、決して社内でも最良の人材ではない。講義自体はつまらなくても座っている精神鍛練だと思って流しておこう、くらいで良いんじゃないかと思う。
会社が新入社員に求める”スイッチの切り替え”は、時におとなしい歯車を作り出すための洗脳に近い印象を与える。習った事柄はことごとく忘れた私だが、研修中大いに反発していたことは鮮明に思い出せる。
若者がくたびれたオヤジの価値観やあきらめを共有する必要などはない。放っておいても人はくたびれる時にはくたびれるものだ。むしろ、今のうちにこそ身につけられることを見つけるために、貴重な研修期間を使ってほしいと思う。後で振り返ると、新人研修の頃ほど考え、悩む時間的ゆとりのある時期は少ないのだから。