2004年05月09日

論文のシーズン

論文といっても人により理解する内容はさまざま。一番の多数派は研究者が学術誌に発表する研究論文だろうか、あるいは、大学の卒業者なら多くが格闘しただろう卒業論文かもしれない。
今回のテーマは、これらとは少し違う。会社勤務のビジネスパーソンが取り組む、社内昇格論文について考えてみたい。

昇格の審査にあたって、論文の作成を課している企業がどれほどあるのか、私は知らない。人事関連の資料にはアンケート集計などもあるのだろうが、仕事上でも目にする機会はなかった。私の勤務先企業ではかなり以前から行われているし、このweblogへのアクセスログでも「論文」という検索語が何度か登場しているので、わりと広く用いられている手法なのだろうと思う(もしかしたら、「論文」で検索してきたのは私の同僚かもしれないけれど)。私の勤務先で論文審査があるのは管理職クラスへの昇格試験なので、受審者はみな10年以上の勤務経験をもっている。10年以上も仕事を続けていれば、今の職務範囲での改善課題や戦略課題を見出すことは十分可能なはずだし、その解決提案を事例や数値などを引きながら説得力をもった論文に組み立てる能力はこれからの管理者として必須だ。このため、論文という審査形式は理にかなっていると私は思う。

タイトルにシーズンと書いたが、毎年提出期限が6〜7月にあるため、多くの受審者が5月の大型連休を初稿の作成に充て、連休明けには友人や上司に論文のチェックを依頼する。5月と6月はまさに論文シーズンといっていい。
こんな状況を書くと、昇格論文のために業務がおろそかになるのではないか、という批判も聞こえてきそうだ。だが、そもそも昇格試験の受審対象者なのだから、仕事を捨て置いて自らの昇格試験に時間を割くということはない。また、自己の担当領域やその周辺でどんな環境の変化があり、どのような対応が求められるかについてじっくりと考え、まとめる機会を作るのは有益なことだと私は思う。いつもすぐ目の前を見て走っているだけの人が組織のリーダーになっては、困るのだ。

しかし、この論文を書くという作業が苦手な人が実に多い。本人によると、仕事はできるしやり方もわかるのだが、書くのがダメだという。
私が見る限り、同じテーマで同じ結論を導いたとしても、論文の出来不出来を左右するポイントがふたつある。

ひとつめはテーマに関する知識や経験の面で書き手と読み手との間に大きなギャップが存在すること、すなわち「省き過ぎ症候群」だ。
昇格試験のための論文はその業務領域について詳しい人ばかりが読むわけではない。むしろ、予備知識をもたない人にもアピールできるように書かねばならないものだ。だが、分量の制限もあって(私の勤務先の例ではA4サイズ2ページに過ぎない)、書ける情報には限りがある。畢竟、自分にとっては当たり前のことがらを省いてしまうという傾向になりがちだ。これが読み手にとっては、根拠もなくある現象の原因を決めつけ、代替案をこれまたさして検討もせずに排除して特定の施策を選択したものに映るのだ。もちろん、書き手にとっては自分なりに考えたどり着いた結論だから、どこに論理の抜けがあるのか気づきにくい。これは同じ職場の同僚や上司に見せても完全にチェックするのは難しいもので、全く別の部門の知人や、企画書や提案書を他部門に提示することの多いスタッフに見せることが重要だ。できるだけ多様な目を通すことが肝心だといえる。

ふたつめのポイントは、新聞や雑誌、インターネットなどで仕入れたばかりの知識を消化不良のままに接ぎ木してしまう、「付け焼き刃症候群」だ。
論文を審査するのは、多くの場合役員やそのすぐ下位の部門長クラスだろう。これらの人々は日経新聞やビジネス誌などには一通り目を通してもいるだろうし、新たなビジネススキームや用語についての理解もあると考えるのが無難だ。もちろん買いかぶり過ぎも危険ではあるが、少なくとも論文を書く段になってからあわてて新聞や雑誌をながめてさがしあてた概念を交ぜ混んで通用するとは考えない方が良い。
買いかぶりも危険と書いたが、部門長とて最新の用語、それも海外から輸入された概念のすべてについて適切な理解をもっているわけではない。理解不足のまま接ぎ木するのも危険ならば、これくらいはわかるだろうとばかりに解説もなく引用するのもリスクを伴う。
論文となると日頃の勉強不足を意識しているほど力が入りがちなもので、目新しい用語を使ってみたい誘惑に抵抗するのは困難だ。しかし、その用語や概念がある程度市民権を得ているか、論文の趣旨にきれいにあてはまり理解の助けになるか、解説が必要ならどの程度か、といった吟味は不可欠だ。こうした吟味が出来ないようなら、最初から使わないのが身のためといえる。

ふたつのポイントと書いたが、もちろんテーマ選定と導き出す結論までの論旨が最も重要なことはいうまでもない。また、手書きならていねいに書くこと(信じられないかもしれないが、私の勤務先でも「ワープロでは思いが伝わらない」という理由で、つい何年か前までは論文は手書きしか認められていなかった)、ワープロなどを用いた電子媒体での作成でも誤字脱字や誤変換のチェックは何度でもすべきだ(必ずしも間違いではないが、私はかな漢字変換のなすがままに「有る」「無い」など、通常はかなで表記するべき言葉を漢字のままで放置している論文を読むと、この書き手は普段ほとんど文章を読まないのだろう、と考える。文章を書くのはコンピュータではなく人間だということを忘れてはならない)。
たかが論文で昇格が(すなわち業務上の地位・責任と給与が)決められるのを理不尽に感じるかたも多いかもしれない。作文の得意な奴が仕事ができるとは限らない、と嘆きたくもなるだろう。けれど、論文やそれに基づくプレゼンテーションを課している企業においては、それが組織リーダーとして必要なスキルだと決められているのだ。自らの考えをまとめ、部下や同僚、上司だけでなく他部門や取引先に説明し推し進めて行くスキルが不要だと主張するのは無理だし、論文はそれを審査する手段だ(部下に任せっきりで自分ではできない役員が審査する側にいるじゃないか、というのは確かに正しいが、いってもムダなことだ)。

論文がうまく書けない理由は、普段から読み・書く訓練を積んでいないからだ。文章は訓練で上達する。良質な文章に触れながら自分なりに書くことで、伝わる論文を書けるようになる(逆ももちろん成立して、掲示板ばかりをみているとまともな文章が書けなくなるだろうと私は思っている)。
書くための訓練は新聞の記事や週刊誌を斜め読みすることだけでは不足で、論理的に筋の通った数ページ以上の文章を読むことが重要だろう。ビジネスパーソンが親しめるものとしては「ダイヤモンド ハーバード・ビジネスレビュー」あたりがお勧めできる。そして、自分の業務上の課題と解決策を、ひとまとまりの文章に組み立ててみることだ。これはどんなに忙しくても数十分の時間で可能だし、リーダーとしてもプレーヤーとしても必要な仕事のステップだ。
最後に重要なのは、それを読んでもらい、意見を求められる相手の確保だ。社内で見つけるのが難しければ、社外のコミュニティや勉強会での仲間でも良いだろう。私のこれまでの経験からも、より多様な読み手を確保できた人ほど、良い結果が出ている。もし周囲に頼める相手が見つけにくければ、私にメールで送ってくださっても結構だ。すぐに返信できるというお約束はできないが、それほど多くにならなければ大丈夫だと思う。もちろん、社外秘の情報など書かれているものでは困るし、できれば会社名や組織名もわからないようにしていただきたいが、たとえわかったとしても秘密厳守はお約束する。以下の要領で送っていただければ数日以内で返信ができると思う。
メールアドレス:kimihiko@d−mate.com(スパムメール対策のために全角で書いているので、半角に直して)
メールのタイトル:論文添削希望
メールの形式:テキストのみをメール本文として(ウィルスが多い昨今、添付ファイルがついているものは開かない)

Posted by dmate at 2004年05月09日 10:52 | TrackBack
Comments

社内昇格論文ってあるんですねぇ..(初めて知った)

ちなみに、研究者系ではこんな感じになってます
http://marketing.misc.hit-u.ac.jp/~matsui/links/method.html

(あと、雑誌「ユリイカ」(2004.4) あたりも論文作法の特集だったと思います)

Posted by: m_um_u at 2004年05月09日 11:00

社内昇格論文がどの程度一般的なのか、良くは知らないのですが、私の勤務先だけということはないでしょうし、比較的広く行われているのではないかと思います。
紹介いただいたリンクでいくつか読んでみました。相手にわかりやすい論文の書き方、という点では共通点も多いようですね。

Posted by: dmate at 2004年05月09日 23:11
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