2004年05月04日

一方的にしゃべりたいなら

宴会でも会議でもそうだが、一方的にしゃべり続けて反論も意見も聞こうとしない人ほど鬱陶しいものはない。「北風と太陽」の話ではないが、話というものは無理に押し付けようとすればするほど相手の耳をふさがせてしまいがちだ。たとえ内容に傾聴すべきものがあったとしても、先に拒否されてしまっては何も伝わらない。双方向だからこそのコミュニケーションであり、一方的にしゃべるのは単なる放送と同じ、チャンネルを合わせてもらえなければ、どんなにすばらしい番組を放送しても伝わることはないのだ。

以前からときおり見ていたweblogで、「すべてのコメントとトラックバックの受け入れを停止する」と宣言しているのを見かけた。理由ははっきりとは書いていないが、エントリーに対して否定的なコメントやメールが数多く寄せられたり、掲示板で取り上げられ非難を浴びたことが気に障ったようだ。
当該サイトのエントリーについての論評は避ける。ただ一つだけ指摘しておくと、どう考えても万人に共感を得られるものではなく、むしろ反感を買うために書かれたかのようなものが多く、しかもその度合いはかなりひどくなってきたいたことは事実だった。

私が理解できないのは、批判や反論を煩わしく感じたり、口汚く罵ったりするメンタリティの持ち主が、なぜweblogを開設するのだろうかということだ。コミュニケートの意志がない者がweblogを運営するのは、自分の考えを披瀝したいためだけに会議を招集するようなもの、話を聞かせたいだけならば会議ではなく自らの講演会を開催すべきだ。
もちろん、毎日の更新を楽にするコンテンツマネジメントシステムとしてweblogを使うのは理解できる。ならば、最初からコメントとトラックバックの機能は切っておくのが適当だろう。当該サイトは、大きな批判にさらされたテーマのエントリーについてだけコメントやトラックバックを排除しており、いわば”私にとって心地よい反応だけを認める”とでも言いたいかのようだ。少なくとも私はこのようなサイトの運営者とのコミュニケーションは望まない。

毒舌それ自体は問題ではない。世相や政治など、さまざまな問題について辛辣な意見を述べることは重要なことだと思う。だが、それを公表するならば、批判の対象ともなることを覚悟しなければならない。批判の内容や言い方が気に入らなければそう反論すればいいのだし、多くの場合、きちんと筋の通った意見に対してバッシングが行われることは少ない。バッシングされるのは、それなりの理由や状況あってのことだと思う(主張が間違っている場合だけではなく、あまりに稚拙な表現や、反論に対抗できる根拠を十分にもたない場合もあるだろう)。
人の振り見て我が振り直せ、という。このweblogにはまだまだコメントもトラックバックも少ない。少ないのは、それだけのエントリーが書けていないことのあらわれでもあろうし、ここがコミュニケーションの場には育っていないことを示すのだろう。また、”一人で一方的にしゃべっている”のかもしれず、もっと書き手としての訓練が必要だろう。ただはっきりしていることは、”コメント・トラックバックお断り”などと掲げるようになったら、私は潔くサイトを閉じるだろうということだ(念のため書いておくが、私はここで取り上げたサイトを閉じるべきだ、と主張しているのではない。ご自身のコミュニケーションのスタイルとサイトの運営とを一致させるべきではないか、と思っているだけだ)。

Posted by dmate at 2004年05月04日 22:56 | TrackBack
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