昨年3月からのイラク戦争の報道には、多くの人が疑問を感じただろう。テレビクルーが米英群の各部隊に”配属”され、その管理の下で戦争を報道する。私たちはその映像をほぼリアルタイムで眺めながら、米英群が優勢のまま、しかもさしたる戦闘もなくイラクを”解放”していく様を見せられた。しかし、それが本当にイラクで起こっていたことだと誰が信じただろう?
管理された戦争報道といえば、誰もが思い起こすのが太平洋戦争時の日本軍による「大本営発表」だろう。敵に与えた損害を過大に伝える一方で日本軍の損害は軽微であったとし、敗れて撤退しても「其の目的を達成せるに依り...他に転進せしめ」などと言いつくろい、虚偽を重ねて敗戦を引き延ばしただけの、大日本帝国の軍隊が国民に犯した極めて重大な犯罪だ。
本書では、その内容を昭和16年12月8日の対米英開戦を伝えた第1回から、敗戦の事実を伝えぬままに占領軍の上陸日程の延期を伝えた昭和20年8月26日の第846回まで、3年9ヶ月を「勝利」「挫折」「崩壊」「解体」「降伏」という5つの段階での変遷をたどりつつ、実は初期の勝利に浮かれる発表のころからその後の犯罪的な欺瞞の萌芽が見られると指摘する。陸海軍の反目と意地の張り合い、極度な精神論、明治以来の戦勝と緒戦での成功が失敗を認められぬ組織の病理が、最悪の展開を迎えた結果が終戦直前に至っても決戦を叫び続け、天皇をすらないがしろにして全国民を道連れに死への道を突き進もうとする、まさに狂気であった。重ねた欺瞞が自己をさらに縛り付け、常軌を逸したとしか思えぬ嘘で塗り固めた発表を続ける姿は、冷静な目からは理解不能だ。
また、ジャーナリストや言論人にもこの動きに積極的に”貢献”した者がいたという事実も衝撃的だ。軍部の意向を受けて国民に戦況を誤認させるための勇ましくも空虚な文章をでっち上げる協力者の存在を、私たちは記憶しなくてはならない。
冒頭で触れたとおり、大本営発表は決して過去のものではない。
米軍にコントロールされた戦争報道、ミサイルの発射場面はあふれているが着弾に関しては「ピンポイント」の一言で済ませられる現地映像とは、いったい何なのか。日本軍がアメリカ太平洋艦隊が全滅するほどの”戦果”を発表し続けたことと一体何が違うのか。
そしてイラクの実態が見えぬままに、私たちの代表である政府は戦争は終結したとして自衛隊を派遣した。しかし、イラクが未だに戦地であることは誰の目にも明らかだ。
意図を持って事実をねじ曲げ伝えるのは、イラク戦争だけではなくほとんどの組織が共通してもつ病理でもある。ことの大小を別にすれば、ほとんど毎日のように繰り返されている光景のはずだ。二日酔いで会社を休むときに風邪気味だという程度の小さな嘘に目くじらを立てる必要などない。しかし、私たちがイラク戦争やパレスチナ情勢の報道に触れるとき、そこには確実に多数の市民の死があることから目を背けることは許されない。情報の伝達経路自体が限られていた当時、日本人は大本営発表のエスカレートを止めることはできなかった。しかし、現代の私たちは多くの情報チャンネルをもつことができる。これを活かせるかどうかは、私たち次第だ。
大本営発表は生きている
保坂正康 著
光文社新書