どんな組織にもタテマエは存在し、その構成員の行動に影響を与えている。公務員を呪縛するタテマエについては別のエントリーで触れたが、会社組織にもそれはたくさんあり、しかも現実(あるいはホンネ)との乖離はますます大きくなっている。
本書は、組織と構成員を縛るタテマエが構成員の意欲や満足度を低め、同時に組織成果を引き下げている事例を上げながら、既に有効性を失ったタテマエではなく、ホンネに基づいた新たな組織と構成員との関係を築くべきだと主張している。
組織を考える上で、過剰適応という概念を理解することは重要だ。これは、特定の環境に過剰に適応することによって短期的な成果を極大化する一方で、環境変化への対応力を失う状態を指している。たとえば、アメリカ産の特定部位の牛肉を集中的に使用することで圧倒的な価格対応力と品質の安定性を実現した吉野家は、牛肉の安全性への疑問とアメリカ産牛肉の輸入停止という大きな環境変化に対応仕切れず、極めて大きな影響を受けた。場合によっては企業の存立そのものすら危ういかもしれない。
本書に登場する組織構成員の問題ある行動、たとえば「公」を装った「私」の利益追求、サービス残業と努力を示すポーズ、情報やノウハウの囲い込みといった行動は、いずれも組織におけるホンネとタテマエとの分裂が放置されている状況への適応事例であるといえる。だれだって組織の状況、自分自身の環境への適応は図るものだ。たとえば会議や出張の予定を自分の予定と合わせやすいよう、調整役を買って出るといった行動は私にも思い当たる。しかし、それが組織へのぶら下がりや意欲の低下といった、組織成果の抑制要因として無視できない大きさになっているとすれば、修正は早い方がいい。
この環境下で苦労して就職したはずの若者の離職率が高いという。一方で、中高年だけではなく、30代の中堅社員にまで、組織へのぶらさがりの弊害が指摘され始めている。すべての問題を組織運営のタテマエとホンネの乖離に帰することはできないにせよ、私達が組織を動かす上で暗黙の諒解事項としてきた事柄に疑問の目を向け、むしろ働く側に組織の姿を適応させて行くことは不可欠であるように思う。タテマエの見直しとは、常識の見直しと同義だ。
さすがに運動会やら花見やらの行事への強制参加などは時代遅れと見なされるだろう。だが、たとえば個々のパフォーマンスを見る代わりに夜遅くまで頑張っているとか指示を良く聞くといった観点で部下を評価しがちな上司は確実に存在するし、有給休暇の取得が困難な職場環境の方が多いのが現状だ。タテマエと実態の乖離が放置されていることが、仕事の効率を高め、成果を出す妨げになっている。
本書が提示する組織の将来像は、決して実現の難しいものではない。多くの職場では既に実践されていることだ。一言でいえば、働く側の価値観の、変化する部分としていない部分とをしっかりと見極め、その価値に照らした働き方と評価・待遇を見通し良く提示できる組織作りといえるだろう。
もちろん、実際に組織を動かすことは容易ではない。ぶらさがり、もしくはフリーライダーとしての生き方を身につけてしまった一部の中高年にとっては、報酬に見合った仕事をするか、報酬を減らされるかの選択を迫られることとなる。仕事の範囲を明確にせず、能力と意志あるものが広く同僚をカバーしながらスキルを高め、昇進して行く従来のモデルも見直しを迫られるだろう。現在ある組織のメリットのいくつかを失うことになるかもしれない。しかしそのメリットは、環境が不変だと仮定した上での過剰適応の結果なのだ。
組織はそこで働く人なしには成立せず、人のありようが変われば組織も変わらねばならない。転がる石が苔むさないように、変わり続ける環境には人は過剰適応できない。環境変化に対応し適応する組織だけが生き残る、本書は組織論の基本を私達に再提示してくれている。
ホンネで動かす組織論
太田肇 著
ちくま新書