2004年04月12日

”明解な答え”に飛びつく前に

私は民間企業に勤めており経験はないが、公務員とはやっかいな仕事だと思う。なにごとにもタテマエは付き物だが、公務員はは清廉潔白で、国民(もしくは市民など)に奉仕するために不断の努力をする、ということになっており、このタテマエのゆえに公務員の不正や怠慢な職務態度が槍玉に上げられることが多い。しかし、公務員が決して高給の職業ではなく、最大限の行政サービス提供のために深夜まで働き続けても十分な報酬は得られないこともまた、かなり広く知られている事実だ。もちろん、それよりも低い給与水準の民間企業はいくらでもあるし、倒産や解雇のリスクが極めて小さいというメリットも公務員には存在する。しかし、その代償として公務員が世間から要求されている「タテマエ」は、果たして妥当なものなのだろうかと私は以前から疑問視していた。

もちろん、手続きがわからぬ住民にぞんざいな口を利くのはサービスの提供者として失格だし、業者と癒着して便宜を図ってもらうといった、明らかな不正行為を許すべきではない。生徒に性的いたずらを行う教師など処分されて当然だ。しかしこれらは、彼ら/彼女らが「公務員だから」許されないのではない。仕事の責任を果たさぬもの、権限を悪用して不正を働くもの、職場での立場を利用したセクハラ、これらはいずれも民間企業の従業員だって同じように非難され、時には職を失う結果となって当然の事柄だ。たしかに民間と違って、公務員の仕事の多くは顧客の側に選択の余地があまりなく、低水準のサービスや不正が市場の圧力によって淘汰されにくいという側面はあるだろう。そのため別の形で外部からの圧力が必要になることはわかる。現実に警察署が裏金作りを行うなど、にわかには理解しがたい行動を目にすると、監視を強化せよという意見にも共感できる点は多い。

しかし問題は、それを組織の制度や構造の問題として捕らえる前に、個々人のモラルの問題に押し込めてしまう思考だ。何か問題を発見するたびに公務員個人のモラルに原因を帰着させ、挙句の果てに公務員全体に疑惑の目を向けるのでは、あまりに短絡ではないか。裏金を作るのは、そもそも予算として認められないが、組織運営上必要な支出がある、ということだ(その「必要性」がどこまで妥当なものかの判断は、当然必要だ)。問題は、必要な支出で予算を確保・執行できない制度や構造にあるのであって、そこには目をつぶって領収証の偽造といった個々の手口に非難の声を上げても何かが改善されるとは思えない。中期的にはさらに悪質な手口を生むか、あるいは必要な支出ができずにサービスが低下する、といった結果を招く可能性すら存在する。

あまりにヒステリックな非難や問題の本質を置き去りにして現状の手続きとルールに従うことを求める監視の強化が行われる背景には、「公務員は清廉潔白であるべし」というタテマエだけではなく、「ルールは守らねばならない」といったタテマエが私達を支配しているからではないか。ソクラテスが毒杯をあおる前にいったとされる言葉、「悪法といえど法である」は本当に正しいのかどうかを考えねばならない時に、思考を止めてしまってはいないか。
私が報道で接する「オンブズマン」や各種の市民団体の主張に触れる時、その設立の趣旨にはおおむね同意できるものの(税金を有効に使ってもらおう、といった、極めて常識的な趣旨を掲げているから当然なのだが)、実行手段には賛成できない事が多いのは、こうした思考停止が見えかくれするからであることが理由だ。手っ取り早く悪者を仕立て上げて非難を繰り返し、お決まりの署名や座り込みを行えば何かが解決するのだろうか? むしろ、事の本質への言及が不完全なままに、責任者の辞任や謝罪で終わってしまうのが落ちではないのだろうか。
問題が解決していないのに、その回避策を奪われるわけだから、組織の行動効率はむしろ低下する。ルールは守られる一方で組織成果は低いままの、まさに「ことを正しく行う」結果を招くだけで、「正しいことを行う」ドライブには残念ながらなりにくい。
市民運動一般を否定するつもりはないし、その参加者の多くがより良い社会を実現するために活動しているだろうことに疑いはない。だが、彼らの活動が結果として公務員たちから誇りと意欲を奪い、ルールに抵触しない無難な仕事を淡々とこなす組織を作り上げてしまう危険性には、一人のサービス受益者として気づくべきだ。タテマエと実態に乖離があることは確かなのだからそれを修正すべきなのに、タテマエに人を合わせようとするのは私には愚策に思える。

ではどうすればいいのか、明快な答えは出しにくいのだが、少なくとも表面に現れた問題の本質について、他人に答えをもらうのではなく自分なりの解釈を仮説として持つ習慣が重要だと私は思う。
組織を動かす人々にはそれなりのノウハウやスキルがある。それは企業や役所だけでなく、市民団体の側にもいえることだ。否定が難しいタテマエとホンネを組み合わせ、相手に受け入れやすく心地よい論理を投げ渡すことなど、決して難しいことではない。漠然とした不満や不安感を見事に説明してくれる明解な論理に出会った時、私達は飛びつく前にひと呼吸いれる必要があるのだ。
WEBにはさまざまな情報が飛び交う。そこで私達がどう読み、どう考えるかは、どう行動するかを決めるに当たって極めて重要だ。

Posted by dmate at 2004年04月12日 21:36 | TrackBack
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