2004年04月04日

一眼レフである必然性

デジタル一眼レフカメラが元気だ。
数年前までは熱心なファンだけが使う高価で特殊なもの、という位置づけであったと思うが、このところいろいろな撮影ポイントで使われているのをよく見かけるようになった。売場で展示される面積も広がり、すっかりデジタルカメラの主要なジャンルとして確立したようだ。
特に、2003年末にキヤノンが発売した「EOS Kiss Digital」は画期的だった。徐々にやすくなったとはいえ30万円以上の高額商品であったデジタル一眼レフを12万円という、手を伸ばせば容易に届く価格レンジに落としたことにより大ヒットしている。

私自身は、2000年秋に上述の「ニコンD1」を購入して以来のデジタル一眼レフユーザーだ。購入以来、確かフィルムは1本しか使っておらず、ほぼ100%デジタルカメラのみを使っている。昨年暮には同じくニコンが発売した「D2H」を購入、「D1」「D2H」とも40万円を超える高額な買い物であったが、もちろん満足しているし、高すぎたと後悔もしていない。ただし、カメラへの投資に見合った写真が撮れているかは疑問だが、技術やセンスに不相応なプロ向けの機材を使っても、コスト対効果など気にしなくて済むのがアマチュアの特権だ。

一眼レフのメリットは多いが、当然デメリットもある。
最大の問題は大きさと重さだろう。コンパクトカメラならば数百グラムの荷物で済むのに、一眼レフは本体と交換レンズ、電池など荷物は多くなりがちで、しかも「D1」などのフラッグシップ機は本体だけでも1kgを超える。レンズも凝り始めると安価で軽量なものではなく、大きくて重い(その分、メリットも大きいのだが)ものが増えていく。結局、軽く撮影を、と持ち出す機材一式が10kgとか20kgになってしまう。撮影が目的でないならば、こんな荷物を持ち歩くのはあまりに馬鹿げている。
また、たとえ本体が安価でも交換レンズはそうはいかない。写真というのはレンズを通ってくる光を記録するものだから、入り口であるレンズは本体よりも大切だといっても良い。明るく高性能なレンズはそれなりに高くなるし、最近では手ぶれの補正やピント合わせのスピードアップなど、魅力的な機能が追加されている。ここにお金を使い始めると、10万円、20万円はあっという間だ。
いってみれば、多くの場合、一眼レフは大きく重くて持ち歩きに不便な上に、追加投資がかかる大変な金食い虫なのだ。

それでも私は、やはり写真を撮るなら一眼レフだ、と思う。
その理由のひとつは、コンパクトカメラと比べたときの圧倒的なレスポンスの早さにある。「ニコンD2H」の場合、スイッチを入れれば即座に撮影が可能だが、コンパクトカメラではこうはいかない。ギーコギーコと音を立てながらレンズがせり出してきて数秒後にようやく撮影可能になる。撮りたいものを見つけてからスイッチを入れていては間に合わないのだ。起動だけではない。オートフォーカスでピントを合わせるスピードも比較にならないし、シャッターを押し込んでから実際に撮影されるまでの時間差もほとんど感じられない。
一度このスピードになれてしまうと、スイッチオンで数秒、ピントを合わせるのに一呼吸、やっと撮影というテンポには戻れないのだ(もちろん、そういうものとして使うことは可能だけれど、どうしてもストレスがたまる)。サイズが大きいだけにバッテリーも大きく、スイッチを入れっぱなしにして使う続けても電池切れを気にかける必要がほとんどないのも大きな安心感だ。「D2H」の場合、ときおり背面の液晶で撮影した写真を確認しながらでも1,000枚以上のスタミナだ。

ファインダー内の表示で完成する写真をしっかりと確認しながら撮影できる点も大きな魅力だ。コンパクト機では、背面液晶を眺めながら腕を伸ばして撮影するのでどうしても手ぶれしやすいし(あの姿勢で望遠撮影をしているのを見ると、感心するくらいだ)、高額ファインダーは実際に写る写真との差が大きい。
一眼レフのファインダー表示は多くの場合、実際に撮れる写真の少しだけ内側を表示するようにできている。たとえば「D70」ならば95%だ。D2Hなどの高価格のものでは、これが100%同じ範囲で表示できるようになっており、ファインダーで見たままの写真が撮れるのだ。これはよけいなものを写し込まずに思い通りの構図で写真を撮る際には非常に重要なものだ(たとえば空と海と砂浜だけを写したつもりが、右下に砂浜のゴミが写っていたら写真が台無しだ)。
ピントをどこにあわせるかを主体的に決められるのも良い。コンパクトカメラでは画面の中央付近でコントラストの高い場所にピントが合うというだけで、具体的にどこに合うかはカメラ任せのようなところがある。最近のオートフォーカス機能はかなり高度になっているので、任せっきりでもかなりちゃんと撮れるのは確かなのだが、私も含めて「どんな写真を撮るかは自分でコントロールしたい」撮影者にとっては不安だし不満材料にもなる。

写真は構図とピント、そして露出のコントロールでできあがるものだといえる。
一眼レフは、これらの要素を撮影者がコントロールしやすいカメラだ。普及機ではフルオートが中心だが、高機能のカメラではオート機能を活かしながら撮影者がマニュアルでコントロールできるように作られている(もちろん、普及機でもマニュアル操作のモードは選べる)。
レンズ交換式一眼レフカメラは、見たものをどのような写真として写し取るのかを、レンズの選択から始まる一連の意思決定によって撮影者が自ら選び取るためのシステムだ。
とはいえ、自分の撮りたい写真を手に入れるために、どんな道具を選びどのような方法を採るかは撮影者の自由だ。高性能カメラを使ったから良い写真が撮れるというものではないし、逆にレンズ付きフィルムで素晴らしい写真を撮ることも可能だ。そこに絶対の基準などはない。
私は、上述のようなストレスの少なさや撮影結果をコントロールする実感を得るために、重さと大きさというデメリットには目をつぶっている。ときおり荷物の重さに辟易とすることも事実なのだが、やはり写真は「D1」や「D2H」じゃなくちゃ、と思うのだ。

Posted by dmate at 2004年04月04日 17:54 | TrackBack
Comments

カメラに凝りだすと病膏肓に入る。
ぼくもかつて経験があるが、カメラフェチの病は重症だ。
それを脱却したのは、知合いのデザイナーと旅をしたとき。
彼は薬で日常の大半はすでにあちらの世界に遊んでいたのだが、そのアート感覚は天才であった。
いつも古びたオートフォーカスカメラをポケットに忍ばせている。
そしてなにか気になるものがあるとそれににじり寄ってポケットからカメラを取り出してパシャと撮るのだ。
タバコのセロハンや唾などをフィルターに使うこともある。
ファインダーを覗いてピントなんてあわせない。
すでにレンズが自分の目になっているのである。
その仕上がった写真は時にシャープに、時にボケが入ってとてもよい味わいの写真なのだ。
彼に写真の秘訣を聞いたことがある。
「対象に一歩踏み出す気持ち」
これなんだそうだ。
自分の気持ちに忠実に素晴らしいものには可能な限り近寄る。
引いたのでは気持ちも引けて逃げ腰の写真しか映らないと言っていた。

彼はその後、ラリッて100キロオーバーでガードレールに突っ込んだのだが、たまたま乗っていたのがベンツだったので半身不随で一命を取り留めた。
風の噂では今も伊豆半島の方でアートな生活をしているそうである。

Posted by: MAO at 2004年04月05日 09:56

写真愛好家とカメラ愛好家とは全く別の趣味、といえるかもしれませんね。
写真を撮るには、手になじんだ道具が一番です。どの道具が良いかは人によるでしょうが、私がコンパクトカメラでなかなかちゃんと撮れないのは、おそらくいま使っているデジタル一眼は私にとって合った道具なのでしょう。
それにしても、レンズって高いんですよねえ...

撮るときには撮りたいものにぐっと寄る、広角好きの私もいつも大事だと感じていることです。

Posted by: dmate at 2004年04月05日 21:25
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