2004年03月31日

読むんじゃなかった

誰でも経験していると思うが、読み始めた途端に「これはまずい」と気付いてしまう文章に出くわすことがある。途中でやめてはそれこそ時間の無駄なので通読するのだが、やはり残されるのは不快感である。単に間違いを気付かずに書いているものもあれば、ひどい偏見に基づいて人の行動論理を決めつけ断罪するもの、あるいは大本から勘違いをして論を組み立てているために失笑を買うだけのものなど、その内容はさまざまで、残される不快感の程度も大きく異なる。

そんな文章は読まないように、危険を感じたらクリックをやめればいいのだが、たとえばblogなどオンラインでのコミュニケーションに関する議論や、組織の行動原理や分析論など、興味ある分野の情報をたどるうちに突き当たってしまうことが少なくないのだ。たいがいは数行で「しまった」と思うがもう遅い。しかも怖いもの見たさとでもいうべきか、こうしたサイトを後日また見に行ってしまうことも多い。論理も構成も文章もなっていない低水準のサイトであっても、「今度はどんなお馬鹿なことを書いているんだろう?」という興味が頭をもたげてきてしまう。それで「やっぱり読むんじゃなかった」などと感じているのだから私も勝手なものである。サイトのオーナーにメールを送るなどして、その論理性や文章力の欠如を指摘したり、間違いを正そうとすることなどもちろんない。黙って立ち去るだけだ。

自分自身の行動を振り返ると、改めてオンラインで書き発表することの怖さを実感する。
対面の関係で読んでもらえば直接意見も聞けるだろうし、相手の表情やその後の言動から自分の文章がどのような受け取り方をされたのかをおおよそ推し量ることができる。しかし、オンラインの読者とはほとんどコミュニケーションが発生しない。読者がどのような感想を抱いても、多くの場合、作者はそれを知ることができないのだ。
blogという形態に限らず、公開した文章に対しての感想をいただくことはもちろんある。それはごく少数ではあるものの、作者にとっては極めて重要な情報だ。
とうぜん好意的な評価ばかりではなく、否定的なものもある。それらの中には明らかに文章を良く読まずに書き送ってきたものや、ひとこと「うざい」とだけ書かれた、一体何が目的なのかよくわからないものもある(私のサイトではフォームから匿名で感想を送れるようにしているので、おそらくメールならば絶対によこさないだろう攻撃的な感想がときおり来るのだ)。後者についてはさすがに腹立たしいのだが、私の文章で「うざい」と強く感じた読者がいる、という事実は重要だ。

なお、私はこの「うざい」なる言葉が全く好きになれない。
明確な価値観や意思の表明は軋轢を産むことも多い。しかし、それを是とした上でのコミュニケーションがなければネットワークのおもしろみなど半減するというのが私の実感である。「うざい」「関係ないだろう」はコミュニケーションを頭ごなしに拒否する言葉だ。コミュニケーションを拒否する言葉を投げつけるコミュニケーションというのは実に不思議なものだが、事実、言葉の貧困は広がっているのだ。

さて、WEBへの感想に話を戻すが、無理矢理に読ませたわけではないのに、勝手に読んで勝手に煩わしがられるのははなはだ遺憾である。しかし、こうした否定的な意見がなければ、私は自分の文章がどのように「うざい」のかを見直す機会を失うかもしれない。
ろくに読みもせずに短絡的な感想が送られてきても、「良く読まずに勝手に解釈して文句つけるなよ」と思う前に(いや、白状するといったんそう思ってから冷静になるのだが)、テーマが伝わりにくい文章になっていないかを読み返すことは、書く力をつける上では絶対に必要なものだ。否定的な意見や感想は極めて貴重だ。
もちろん、書き手の側にも読者像を設定する自由はあるのだから、教科書とコミック以外の活字を読んだことのないような人物には理解できなくてもかまわない、という割り切りをする自由は書き手にある。事実、私は誰にでもわかるようにと書いているわけではない。

WEBは誰でも世界に向けて発信ができるツールといわれた。そしていまや、weblogによってさらに多くの人々が簡単に書き手になれる。リンクやトラックバックがweblogを数珠繋ぎにし、私たちは関連する情報を次々にたどることができる。
しかし、それらのリンク先で見つけられるのは、多くの場合はたった数行のコメントにすぎない。まとまった文章でないばかりか感想とさえ呼べない、反射的に出た感嘆符のような言葉だ。その中で、たとえ内容が勘違いばかり、思い込みだけであっても、まとまった意味のある文章を書こうとするサイトは貴重なのだろう。また、「読むんじゃなかった」と感じている私のほうに、思い込みや予断があって文章の意味を受け取り損ねていることも少なくないだろう。
黙っていてはコミュニケーションは始まらない。「うざい」とだけ書き残すのは無礼千万な行為だが、冷笑を浮かべながら立ち去ることよりも何倍もマシだ。weblogにはトラックバックという、自分のサイトの更新とコミュニケーションが同時にできる大きな特長がある。相変わらず毎日は書けないものの、1ヶ月の助走で書くテンポがつかめてきたことでもある、ぼちぼち気がついたらトラックバック、を始めてみようかと思う。

Posted by dmate at 2004年03月31日 21:00 | TrackBack
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