2004年03月25日

今さらながらCCCD

私がCD-Rドライブを買ったのはちょうど流行り始めの1997年、たった4倍速で-RWディスクも使えず、しかも安定性確保のためにSCSI接続で5万円近くした。購入の主な目的は簡便なデータバックアップの方法がほしかったことだったが、音楽CDを作成できるという話にも興味津々だった。
学生時代には食費を削ってLPレコードを買っていたのだが、ちょうど結婚したころにLPプレーヤの調子が悪くなっていた。毎日インスタントラーメンなどの粗食に耐えながら買い集めたLPがゴミになってしまうのはいかにも忍びないし、同じものをCDで買い直すのも業腹だ(それに、CDで発売されていないものも結構ある)。そこで、プレーヤが生きているうちにCD-Rドライブで音楽CD化してしまえば、安心して聴ける。私はそう思った。

結果的にこの計画は一度も実行していない。なぜなら、LPプレーヤで再生した音楽をPCに取り込み、曲ごとにファイルを分割して、必要に応じて加工して、という作業が面倒だからだ。しかも、マザーボードにオンボード搭載されているサウンド機能にアナログ入力しても、たいした音質は期待できないらしいのだ。LPプレーヤが何とか壊れずに使えていることもあって、私はLPレコードのCD化計画をすっかり忘れた。
CD-Rドライブのほうは、その後引っ越して自家用車を使うようになったため、複数のCD(もちろん、自分で購入したものだ)から気に入った曲を集めて車載用の音楽CDを作成するのに活躍した。1枚作成するのにファイナライズも含めると30分もかかったが、食事中やテレビを観ながら記録する分には苦にならなかった。また、デジタルカメラを中心に使うようになってからは(1999年以降のことだ)、増え続ける写真データのバックアップにも活躍してくれた。

ちょうどその頃、どんな安いパソコンにもCD-R/RWドライブが搭載されるようになって、急に騒がれ始めたのが、音楽CDのカジュアルコピーだった。要するに、音楽CDの売れ行きが鈍ったのは、レンタルCDや友人から借りたCDをパソコンでコピーする消費者が増えたからだ、という主張をレコード会社や著作権管理団体であるJASRACが始めたのだ。
この主張の当否は私には判断できない。確かに私も学生時代はレンタルレコードを利用していたし、友人から借りたレコードも含めてカセットテープにダビングをして楽しんでいた。しかし、当時レンタルや友人間の貸し借りのためにレコード売上が低下した、という主張はなされていなかったように思う。レンタル店に著作権料の支払いを課して決着はついたはずだった。
カセットテープとは違って、ほぼ完全な複製物が作れるCD-Rによるコピーは看過できないという点について一定の理解はできる。しかし、これを音楽CDの売上減退の主因であるとしたのにはさすがに無理があるように思う。景気の減退に伴う可処分所得や小遣いの目減り、音楽そのものの質の低下、娯楽の多様化に伴う支出構造自体の変化など、理由はもっと複合的なものではないのか。

いずれにせよ、一方的にパソコンとCD-Rドライブを悪者に仕立て上げた上で、登場したのがコピーコントロールCD(CCCD)だ。理屈を平易に解説することは私にはできないが、意図的にエラーとなるよう記録された音楽CDまがい、ということになるだろうか。このディスクを再生して手持ちのCDプレーヤやCDドライブが壊れても、もちろん誰も補償はしてくれない。このディスクはパソコンでのリッピング(音楽をデジタルデータのまま取り出す作業)はできない、というふれこみだった。
すでに広く知られているとおり、このCCCDはなんの工夫もなく普通にリッピングが可能だ。対応ドライブやらソフトウェアに関する情報がさまざま飛び交ったようだが、私の場合、自宅の複数のパソコンで従来の音楽CDと全く同様に音楽データを取り出すことができる。私はレコード会社のエゴのために自分のプレーヤを壊す気などないので、購入したCCCDはすぐに通常の音楽CDに作り直して聴いている。レコード会社は違法だと主張するかもしれないが、私は自分で買ったディスクを自分で聴いているだけ、人に貸したこともなければコピーに応じたこともない(一度、見ず知らずの人物からCDのコピーをしてほしいという依頼メールを受け取ったことがある。当然違法行為になるのでお断りしたが、突然このようなメールを送りつけてくる人物がいるので、レコード会社の主張も多少は理解できるのは確かなのだ)。私にとってのCCCDとは、単に面倒で、一手間かけなければ自分のプレーヤに悪影響を及ぼすかもしれない、ただやっかいな商品なのだ。たぶん多くの消費者にとっても同様だろう。

企業が商品を企画するに当たっては、その商品がどのような価値を顧客にもたらすかを出発点にすべきこと、これは業界を問わない基本である。ものやサービスが売れない時代こそ、顧客価値に立脚した、より高い満足を得られる商品を企画し、同時に利益の出せるビジネスモデルをつくることを、どの企業も目指している。
それゆえ、CCCDほど一方的に供給者の論理で売られている商品はめずらしい。レコード会社は衰退しつつあるビジネスモデルに固執し、今搾り取れるだけのカネを得るために行動しているように思われる。一方で、オンライン配信などの新たなビジネスへの動きは鈍い。
レコード会社自身も、レコードやCDの制作は消費者にはできない時代に確立したビジネスモデルが、すでに崩れていることは良く理解しているはずだ。CDが売れない一方で着メロや着うたといった携帯電話向けサービスが成長していることからも、時代にマッチした新たなビジネスを作り出すことの重要性を無視しているわけではないだろう。
CCCDは、ビジネス環境の大きな転換点での革新を遂げられずに業界全体がもがき苦しむ中で産まれた。それは消費者にとってはマイナスの要素しかないばかりでなく(これによってCDの販売量が上がり、価格が低下するという効果は今のところ現れているようには思えない)、おそらくは販売しているレコード会社でさえ効果を信じていないだろう(本気で信じているとすれば、彼らはかなりおめでたい人々といっていい)、あまりに中途半端な存在だ。

著作物を無断コピーしてネットを通じて流通させるのは紛れもない犯罪行為だ。しかし、それを防止するために対策を打った、という名目づくりのためだけに、このような欠陥品といってかまわない商品が堂々と売られているのは不自然きわまりない状況であることも確かだ。
私は音楽が好きだし、今後も好きな音楽にお金を払い続けるつもりがある。レコード会社の将来を担う方々が、正当なユーザーの使い勝手を犠牲にすることなく、あらたなビジネスを作り上げることに期待している。早く、CCCDなどというものを過渡期の遺物として葬り去り、新たな関係を築いていきたいではないか。

Posted by dmate at 2004年03月25日 22:47 | TrackBack
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