私が初めてコンピュータをネットワークにつなげてから、もう15年ほどになる。ヨドバシカメラで2,400bpsのモデムを購入してEPSONのPC-386Mというパソコンにつなげ、「Nifty-Serve」に加入したといえば、古くからのパソコンユーザーには「ああ、あのころか」と納得いただけるだろう。ちょうど、パソコン通信が新しいコミュニケーションとして市民権を得つつある時期であったように思う。
当時から電子会議室(Nifty-Serveでは「フォーラム」と呼んでいた)でのトラブルは少なくなかった。喧嘩まで発展しなくても、見苦しい揚げ足の取り合いやかみ合わないままに延々と続く会話はそこら中に見られた(とはいえ、パソコン通信はIDによって個人が特定されていたこともあって、現在の匿名掲示板ほどの幼稚な応酬は滅多になかったように思う)。
その頃から感じていたのは、かなり多くの人が掲示板に意見を書き込むときに好意的な反応だけを期待してしまっているのではないだろうか、ということ。ちょっと批判的なコメントが寄せられると、途端に意固地になったり好戦的な口調になってしまう人をよく見かける。冷静になればどんな意見にだって何らかの反論が可能なのは当然なのだが、意見を表明する人はそれが正しいと信じているわけで、感情的になってしまうのも理解はできる(もちろん、肯定しているわけではない)。
あるいは、質問や相談の口調ではあるが、実際には最初から自分なりの結論を持っており、それを披瀝することが目的の発言者もよく見かける。上のタイプと同じく、最終的には「あなたの考えは正しいと思います、頑張ってください」といってもらうために発言する人々だ。目論見通りに話題が展開すればいいのだが、そうならないと無理に自分のストーリーに引き寄せようとして周囲を徒労にしかならない議論に巻き込んでいく。
いくつかのトラブルを見るにつけ、現在のWEBベースの掲示板は意見の表明や議論の手段としては、決して洗練されたものではないことに思い至る。WEBのフォームからでは長文を推敲して書くことなど難しいし、しかし別途文章を準備してからコピーするのが当然、という共通認識はない(かつてのNifty-Serveでは、多くのフォーラムで「発言は一晩寝かせてからアップしましょう」といったことが推奨されていたのだ)。結果として言葉足らずな文章が氾濫してしまうことになる。WEB掲示板は気軽な雑談やQ&A程度には有効でも、それぞれが論拠を示して議論するには使いにくいのだ。そもそも感情的な応酬に陥りやすい危険性を持つ議論を、あまり適していないツールを使ってやるのだから、難しいのは当然だともいえる。
blogが注目されている理由のひとつが、それぞれが自己のサイトでしっかりと文章を掲示して主張をしつつ、他のエントリーとの関連性を確保できるトラックバック機能が、こうした掲示板での議論の難しさを解決しうることなのではないだろうか。
私は、反論に感情的になったり無理に話の流れをコントロールしようとしてトラブルを引き起こしている人たちを見るたびに、なぜ自分自身でサイトを立ち上げてその主張をしないのかと訝しんでいた。わざわざ他人の庭先で喧嘩を始めることもないだろうに、と。
とはいえ、無料のWEBサイト設置サービスが増えているとはいってもたった一文のためにサイトを開設するのは面倒なのも確かだった。今や、blogツールがテキストや画像などを交えたサイトの設置と運営に関わる手間を大きく引き下げてくれている。無料のサービスも増えており、設定だって決して面倒ではない。掲示板で思うようなコミュニケーションができずにフラストレーションをためているなら(そう、トラブルの元になった本人だって、最初からそんなつもりではなかったはずなのだ)、blogを始めてみてはどうだろうかと思う。もちろん、多くに人々に読まれるかどうかは、プロモーションとコンテンツにかかっているわけだが、少なくとも納得のいく発信はできるはず。
良い道具が良いコミュニケーションに直結すると考えるほど私も単純ではないが、少なくともより快適で使いやすい環境が簡単に手に入ったのだ。使ってみて損はないと思うが、いかがだろう。